ネットのごく一部で流行っている言葉や画像(ミーム)を解説するウェブサイト

抑えこんでもなくならないグレーゾーンの話

ネットを利用していれば,日々論争が起っているのを目にするでしょう.

それは,グレーな部分が論争になっていることが多いです.そんな状況を見たら,みなさんは何を考えますか.

 

白黒はついていますか?

ネットを利用してコンテンツに接していると,法律,特に著作権周りのことを気にする機会はあるかと思います.

この動画は違法配信されたものなのか? 自作絵として Twitter にアップロードされた画像だけれど,Pixiv の絵を無断で引用しているように見える?ま とめブログは許可無くSNSの発言を引用して良いのか?

ネット以外にも,自転車の駐輪など,厳密に言えば取り締まりの対象になるけれども,実際にはそこまで厳しく取り締まられていないものは身の回りにあるでしょう.

違法かどうかわからない,グレーな状況を見たとき,人々はどう判断して行動しているのでしょう.

今回話をしたいのは,グレーな扱いを受けているものについて,現時点での自己の利益を守る状況では,白黒に関心がいってしまいやすいということです.

 

どんなときに白黒を気にしたくなるか?

 

ラジおこしに対する態度

この記事を書こうと思ったきっかけは,次のサービスに出会ったことでした.

ラジおこし

ラジオ番組と協力し,ラジオでの対談を書き起こしています

私自身は,自分で対談をするのも,人の対談を聞いたり読んだりするのも好きで,このサイトを面白いと思いました.

ただし,以前は番組制作側の許諾を得ていない記事を載せていたようです.(Internet Archive を利用して確認,2014年7月2日時点の内容.)

そのことは,次のように取り上げられていました.

放送のネット“文字おこし”は問題あるの? – THE PAGE

この記事で印象的だったのは,ニッポン放送,TBSラジオの関係者のコメントです.どちらも,どちらかというと違法な行為であるとしていて,その活動の可能性に言及せず,検討や協力といった態度を見せていません.

これらの関係者の人は,今ある作品を守るために,文字起こしの行為は黒に近いという考えをして,白黒に関心を向けています.

 

カフェ利用の駐輪に対する態度

他にグレーな状況として思い出すのは,家の近所の,駅近くの通りにあるカフェの店舗です.

そのカフェは,大学の敷地内にあるけれども,駅前の通りに接していて,学生も外部の人も利用できるようになっています.地域の人は,自転車を移動の手段として良く利用しているようで,カフェの横には大量の自転車が駐輪されています.このような光景は,他のお店でも見られるのではないでしょうか.

2014-10-04 18.04.24

カフェのすぐ近くに地下駐輪場はありますが,カフェの横に空き場所があるならば,そこに停めてしまおうという考えの人が多いのでしょう.正直なところ,私が自転車で来ていたら,カフェの横に停めてしまうだろうと思います.

ある日,この場所の駐輪は禁止であるという大学側の看板が立てられていて,驚きました.大学側(施設安全企画課)はもともと,通路確保と安全性の面から,学内の放置自転車を減らす活動に積極的でした.ですが,まさかカフェの横の場所にまでその活動が適用されるとは思いませんでした.

駐輪場でないところに駐輪した学生を見かけたら,駐輪場を紹介し誘導することもできたのでしょうが,カフェ付近は大学と公道の境目であり,学生でない人も利用しています.そのため,看板設置にとどまり,声をかけたり,撤去することはできないようです.

そのような状況が続き,看板が設置されても駐輪自転車は減らなかったため,大学側はベンチや花壇を自転車駐輪のあった場所に設置しました.二重の対策です.ですが,その後も,結局ベンチの手前に自転車は停められてしまっていました.あまり効果がなかったと言えます.むしろ,自転車が減らないならば,少し通路が狭くなった状態で,悪くなっていると思えます.

放置駐輪問題の論文も,ネットで探すだけでいくつか見つかりますが,いかにして減らすかということや,「放置駐輪をすべきでない」という意識を広める必要があると言った方向に関心が向いています

この例でも,大学の敷地の今を守るために,放置駐輪はすべきでないという白黒に関心が向かっています.

 

人が集まるところにグレーは生まれる

グレーな扱いを受けているものについて,現時点での自己の利益を守る状況では,白黒に関心がいってしまいやすいという話をしました.

そこで何が言いたいかというと,その関心の向け方に気を取られていると,利用者視点になることができない.すなわち,ユーザーからの不満に気づかなかったり,より良いサービスになっていく可能性を逃して衰退していってしまうことがあるのではないかということです.

ラジオ番組の情報は,新聞などのメディアには載っているものの,ネットにはそれほど広まっていないように見えます.作品を保護するにしても,一部のコンテンツはネットメディアに相性が良い形で普及させていっても良いのではないでしょうか.文章になれば,ネットでの反応が起こりやすくなることには違いありません.

カフェ利用の駐輪についても,通路の確保のためにカフェの収益を落とすことについて,大学側が本当に検討しているのか,もししていないならばしてほしいと思います.駐輪の違法性をグレーとして残して,カフェの収益を確保するという方法は,カフェだけでなく他の様々なお店が取っています.駐輪禁止を徹底することは,カフェの利用者に影響するので,大学側はカフェにも相談したほうがよいことなのだろうと思います.

人が集まっているところには,法的にグレーなものが生まれやすいです.個人を国家が管理するための法律は整備されてきましたが,共同利用に関することについては法律化されていない傾向にあるようです.つまり,まだ本来どうあるべきなのかという事例や意見がまとまっていない段階だということです.

グレーなものは抑えこんでもなくなりませんし,抑えこむことに意味があるのかどうかは判断しかねる状況です.そこで,白か黒か,どんな罰則が課されるべきかということを議論するのではなく,もっと,どうなっていくのが参加者や提供者にとって良いのかが議論されていくと良いだろうと思いました.

グレーな部分には,とても,可能性を感じています.

 

補足

今回の話に気づくきっかけとなる認識の仕方は,最近読んだ次の本で養われた気がします.

〈つながる/つながらない〉の社会学-個人化する時代のコミュニティのかたち
柄本 三代子 小村 由香 加藤 篤志 渋谷 望 鈴木 俊介 道場 親信 吉野 ヒロ子
弘文堂
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特に,”第9章 生きられたアナーキズムの系譜――「半」の空間とコモンズ / 渋谷 望”では,グレーという言葉ではなく,「半」という言葉を導入し,「半」の空間を論じています.

Consumer Generated Media(CGM)とコミュニティの話や,放射能などに言及することによって起こる繋がりや分断の話など,かなり新しい話が載っていて面白かったです.