その話、ぼくをどこへ連れて行きたいの?

何を目指しているのかはっきりしている話が好きだ。 「この前海好きだって話してたし、海に行きましょう。道はわからないけど、さあいきましょう。」みたいな。   話す人を歩くこと、聞くことを付いていくことに例えてみよう。   ひとりごとは、”あそこに行くのが楽しい”と、案内なしに歩き出すようなものだ。 いっぱい歩いて、いろいろな場所に行ったけど、結局なにが楽しいと思って歩いたんだろうな、となってしまう。 ウロウロする歩き方もいいと思うんだけど、行く先がわからないまま歩かされるとつらい。   ひとりごとではなく話しかけるということは、”どこかへきみを連れて行きたいと思う”という意思表示だ。 話しかけるということは、つまり歩いてもらうお願いをするのだから、歩く理由があってほしい。 こういうところにきみを連れて行きたいから、歩いてくれないかってね。   面白い場所っていうのは、そうして案内があってようやくたどり着けるのだと思う。 いつでも面白い場所に案内できるとは限らない。 けど、どこかには案内できるような話の仕方をしていれば、そのうちたどり着けるかもねと思うのでした。

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記憶力を鍛えたって、たかが知れている。

記憶力を上げる必要なんて、ない。 昔、ぼくは歴史の授業が苦手だった。それは記憶力がないからだと思い込んでいた。 実はそうではなく、単に歴史をどう理解すればいいかわからなかっただけなのだ。 わかってしまえば、覚えるとかいう行為をする必要はない。 もし仮に記憶力が増したって、わかっていなければ歴史についてまともに語れないだろう。   記憶する前に、理解しようねって自分に言い聞かせたい。 わからないのに、覚えてもしょうがないよねってこと。 宝の地図を必死に書き写したって、その意味がわからなければ意味がない。 解読できる人になってようやく、その記録は価値をもつ。   板書やスライドを使って、何か発表をするときに思う。 原稿を覚えざるを得なくなってるとき、すごい負けた感じがするんだよ。 あーこれ頭使って話せていないじゃんっていう。 復元してつくり出した話と、記録を読み上げる話は別物。 筆記試験や面接でも、必死に覚えて対処するのは最悪の手段だ。   もちろん、記録しておきたいことってある。 けど、記憶しておきたいことってあんまりない。 記憶するかどうかなんて、意図的に工夫する必要があるだろうか。 必死に覚えることより、その場で考えてわかるようにすることが大事だ。 それよりも、何も見ずに考えて理解することに、時間をかけていようと思う。

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何でもメモをとろうとすると、余計に忘れる

忘れるからといって、何でもメモをとろうとすると、余計に忘れるんじゃないか。 このことが、最近ようやく実感としてわかりつつある。   そもそも、ぼくがメモをとるのは何のためだったのか。 蓄積を残すため、共有のためだった。 人が集まって作業をして、それを繰り返していくのに、何にも文章が残らないのはおかしいんじゃないか。そういう気持ちからだった。 その考えには、今でも意味があると思っている。 けれど、自分の意見をもつことが大事な場面では、考えることをおろそかにしてメモをとっては無駄だ。   結局、まともに考えられるのは、見なくてもわかることだけだ。 見ないとわからないと思って記録をしてみたところで、そのことについて理解が深められるわけでもない。 講義で板書丸写しのノートを取っていても、何も覚えられないことはわかっているのだが。 それでも、話し合いの記録などを取ってしまおうとする。 どうもぼくには、記録をすることで考えるのを避けて楽しようとする癖があるようだ。   記録をすることは好きだし、別にやめようとは思わない。 ブログを書くことはやめない。 だけど、ちょっと試しにメモを取る行為を減らしていこうと思う。 突き詰めて考える力をつけたいがため。

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