どうも、木村(@kimu3_slime)です。
今回は、「文化人類学の世界」で知った考え方、自らの視点を疑うことについて書きたいと思います。
立場による考え方の違いを説明する例として、はてな匿名ダイアリーの「外車の存在を無視する人達」というエントリがわかりやすいです。まずは、そこから紹介していきましょう。
立場が違うと、ものの見え方が違う
この前車を買うことになった、九州出身東京在住のものです。自分が車を買う時は国産車も外車も関係なく気になる車を比較して結局ルノーを買うことにしたんだけど、この前帰省した時にその話を同級生にしたらびっくりされた。というか、なんかひかれた。「お前なんで外車なんか買ったの…」的な。「ていうかルノーなんて聞いた事ないぞ」って反応もあった。
確かに地元の友人は皆国産車に乗っている。それも大体トヨタかホンダ、よくて日産だ。マツダ、スバルまで行くと少し変わっている人扱いされている。東京に住んでいると軽自動車より外車を見ることの方が多いし、国産車も外車も普通にフラットに比較するのが当たり前だと思っていたけど、地元の友人たちは車を選ぶ時にそもそも外車の存在を眼中に入れていないようだった。そこに存在しているのに、そもそも存在自体を無視しているような印象。地方の人に多い気がするけど、なんで外車の存在を無視して国産車だけで話を完結させようとするんだろう。
引用:外車の存在を無視する人達
「東京に住んでいると軽自動車より外車を見ることの方が多い」という前提に気づいているにもかかわらず、地元の友人の考え方を不思議に思っていますね。
住む場所が変われば、見えているものは変わります。見えているものが違えば、考え方は違います。と書いてみると、考え方が食い違うのは不思議なことではありません。
自らのメガネで相手を見てしまう癖
このエントリが面白いのは、それでも「自らの立場で相手の話を聞いてしまうこと」を的確に示しているからです。
人は自らかけているメガネに気付きません。ここでいうメガネとは、東京の立場が見えるメガネです。メガネをかけている人は、日常生活の中でメガネによって見え方が違っていることを自覚しないでしょう。いちいち気にしていたら、キリがありませんから。
メガネによって見える景色を正常なものだと思い、他の人も同じように見えているのだと考えます。その結果、地元の人と同じものを見ているつもりで、かけているメガネによって見え方が食い違った。
じゃあメガネを外せば話が食い違わないかというと、そんなことはありません。なぜなら、裸眼の自分に見えているものと、メガネをかけた相手に見えているものは違うからです。
いえ、そもそも、裸眼の自分が見えているものと、裸眼の相手に見えているものでさえ、違うのです。自分と他人は、見ている眼球が違うのです。見ている場所も違います。考えている脳みそも違います。お腹の空いた人にとって美味しそうに見えるラーメンは、満腹の人にはそう見えません。就職ができないという状況を、ポジティブにとらえる人もいれば、ネガティブにとらえる人もいます。
参考:思考のパターンを変えれば、不安は和らげられる「認知行動療法」
見えているものが違うというのは、単に画像情報としての違いにとどまらない。見えているものに対する、価値のつけ方、意味のつけ方が違うのです。
同じ日本人であっても、意味のつけ方は違うのです。同じ言葉を使っていても、価値観は人それぞれです。育ち方が違えば、人生の選択肢も変わってきます。
自らの意味のつけ方、考え方、価値観から逃れることはできません。どうしたって、他人の考え方の違いに驚き、不思議に思い、違和感を覚えることはあるでしょう。
文化人類学とともに、自らのレンズを疑う
さて、それでも他人のことを理解しながら話をしたいとしたら、文化人類学が役に立つと思います。
文化人類学は、本当の意味での人間らしさとは何かを考える学問です。そのために、いわゆる未開の土地を訪れ(フィールドワーク)、その場所の行動習慣、文化を記録します。
「車を買うときに外車を選択肢に入れる」のは、あらゆる人間に共通していることではありませんでした。このように、「人間ならば当たり前にこうだろう」と思い込んでいることの中には、よくよく考えると正しくない考え方が入っています。(ここで言う正しさや論理性というのも、ある種のメガネなわけですが……)
参考:なぜ西洋において論理が重視され、日本ではそうではないのか? 近代合理主義と仏教の違い
文化人類学者は、自らのメガネを意識し続けています。人間をよく知ろうとする人は、知ろうとする相手だけではなく、自らの目のこともよく知らなければなりません。
「文化人類学の世界」の副題は、Mirror for Man(人間の鏡)です。自分と異なる人間は、自らの人間性を映す鏡ということですね。異文化を知ることで、より自らが染まっている文化を自覚しやすくなります。
考え方が違う人間と接して、苦手に思うこともあるでしょう。でも、他人の目を付け替えることはできませんし、考え方をすぐに上書きできるわけではありません。変えうるのは、自らの視点、疑わしきは、自らのレンズです。
相手の視点に同化しろと言っているわけではありません。ただ、異なる視点を持つ力を養っておいたほうが、人間あふれるこの世界で生きやすくなると思うのです。
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— 木村すらいむ (@kimu3_slime) May 16, 2016
木村すらいむ(@kimu3_slime)でした。ではでは。