先日、「路地裏会議~孤立系ブロガーの集い~」という会に参加してきました。孤立しているのか集まっているのか、謎ですね。参加者は、発酵デザイナーの小倉ヒラクさん、文化系女子の(チェコ好き)さん、IT小商い研究家のタクスズキさん、隠居系男子の鳥井さん、そして僕こと木村すらいむです。
「まさかここまで濃い話ができるとは」という言葉が出てくるほどに面白い話が生まれたので、きっちりとブログに残していきたいと思います。
参加のきっかけは、自分のドメインをもって妙なことを書いている「孤立系ブログ」が面白いという記事を書いたことでした。
こないだ、「孤立系ブログ」という謎な括りがあったけど、孤立系をその通りに並べていくとか。鳥井くんとこと、鈴木くんとこと、チェコさんとこと、美咲さんとこが並んでいて…みたいな通り。一般の観光客はいかないが、コアなバックパッカーは行く。
— 小倉ヒラク (@o_hiraku) July 7, 2015
その後、Twitter上でのやりとりを元に、小倉ヒラクさんが「孤立系ブロガーの集い」を企画しました。
「孤立系ブロガーの集い」では、ワイナリーやヒラクさんの家を見学させいただいた後、秘境感のある「異次元の宿」に泊まり、おいしいワインを飲みながら夜中まで語り続けました。ヒラクさん、参加者のみなさん、本当にありがとうございました!
さて今回は、その宿での食事後に語り合ったことについて、整理して書いていきますよ。
ウェブで書きたいことを書くための孤立
そもそも、孤立系ブロガーはどんな思いをもって孤立しているのでしょうか?
各々理由はあるのでしょうが、共通することは「書きたいことを書くのだ」という思いでしょう。
- ページビュー(PV)や広告収入を気にしないで書きたい
- はてなブログなどのプラットフォームに依存せずに書きたい
- 検索エンジン最適化(SEO)を強く意識せずに書きたい
現在多くのアクセスを集めている多くのバイラルメディアは、「猫画像」や「イイ話」の記事を大量に拡散させています。
もちろんそれを読みたい人は居るし、書きたい人も少なからず居るのでしょうが、そうしたコンテンツばかりが増えていく状況は、僕らが望んだことなのかという疑問が残ります。
岩波文庫並に高く理想をもつ
ここでヒラクさんは、岩波文庫の理念に注目します。話の方向に迷った時に、何度も岩波文庫の理念に立ち戻りました。
岩波文庫の理念は、ざっくりいえば「専門機関やブルジョアに専有された教養をフツーの人に開放する」ということでベースには「一部の人に専有されている段階では、それは文化とは言わない」という考えがある。日本の書籍の値段が安く抑えられているのは「知識はあまねく人に行き届くべし」ということ。
— 小倉ヒラク (@o_hiraku) August 3, 2015
岩波書店のすべての本に書かれている、岩波文庫の発刊に際して書かれた文章「読書子に寄す」を一部引用しましょう。
真理は万人によって求められることを自ら欲し、芸術は万人によって愛されることを自ら望む。かつては民を愚昧ならしめるために学芸が最も狭き堂宇に閉鎖されたことがあった。今や知識と美とを特権階級の独占より奪い返すことはつねに進取的なる民衆の切実なる要求である。岩波文庫はこの要求に応じそれに励まされて生まれた。
引用:読書子に寄す ――岩波文庫発刊に際して―― – 青空文庫
ざっくり言うと、大量に生産され消費されていく本をとりまく日本の状況を踏まえて、知識人のみが共有している知識を開放させ、階級によらずあらゆる人の元に知識と美を普及させようということが述べられています。
リテラシの高さを問わず全ての人に人間が培ってきた知を文庫本として広めようとする岩波茂雄さんの言葉は、言い知れぬ気迫に満ちてます。彼が日本の現在と将来に対して強い危機感をもっていたであろうことは間違いありません。
もし、岩波さんの思想の射程と同じくらいの射程で、今のウェブに理念をもって変化を起こすとしたら。
孤立系ブロガーが、単に「変わったこと」を書いているのではなく、人類が積み上げてきた思想や言論をウェブに広げていくことを願うとしたら。
ウェブのコンテンツの質をあげるために、ウェブで文章を書く人にできることはなんでしょうか?
記事単価を上げなければ、ウェブに質の高い記事が増えない
きちんとした記事をウェブに普及させるためには、1記事あたりの単価を上げなければならないと思います。
記事1本数百円の仕事では無断転載が起こることは避けにくいでしょうし、記事1本数千円の仕事では情報の裏とりに時間をかけられないこともあるでしょう。
ライターでありLIGブログの編集長を務める朽木さんも、ウェブライターが大きな仕事をつかんでいってほしいと願っています。
でもYahoo!さんはそんなライターを生み出したいとのことで、僕もそれにはすごく共感します。ウェブライターで数千万円稼ぐプレイヤーが出てくるくらいの、そこまでの夢が見てみたい。
そこを目指すためには、いろんなものをハックしていかないといけない。マスだけじゃなくてウェブにもお金が流れるような広告の仕組み作りも必要になってくるだろうし、ビジネスモデルそのものを変える必要も出てくるかもしれない。
引用:這い上がれ、報酬2,000円ウェブライター! ‐ LIGブログ 朽木誠一郎 ‐ – 灯台もと暮らし
では、どうすればウェブの記事の単価が上がるのでしょうか。これはとてもむずかしい問題です。
孤立系ブロガーの話し合いでは、PVを稼ぐ技術を身につけることではなく、ウェブで記事を書くことへの人びとの信頼が必要なのだという結論にたどり着きました。
新聞や雑誌など紙媒体の文章には信頼が寄せられているため、たとえ読まれにくいとしてもジャーナリズムや思想といったものを扱った文章にお金が出ています。
ところが、ウェブではジャーナリズムや知の系譜を継ぐような思考ができる人が少ないと思われています。BLOGOSやゲンロンカフェやスマートニュースのオピニオンチャンネルといった例があるとはいえ、まだ少ないです。つまり、ウェブに寄せられている信頼は平均して小さいため、ウェブ上の読まれにくいけれど大切な文章にはまだお金がつきにくいのだと思います。
信頼の棒をウェブに倒す
それでも、孤立系ブロガーでなんとかその信頼の棒をこちら(ウェブ)側に倒したい。
そのためには、「横」と「パフォーマンス」の軸だけではなく、「縦」の軸をもっていることをウェブの人間が証明しなければならないとヒラクさんは語っていました。
「縦」、「横」、「パフォーマンス」の話は、自分なりに整理すると次のことを意味しています。
縦=過去の偉人や思想家の系譜を継いでいること
横=現在のWeb(SNSや検索エンジンなど)の事情を知っていて、ニュースなどで話題になっていることを踏まえていること
パフォーマンス=わかりやすく魅力的に伝えること
2015年現在のウェブには、「横」と「パフォーマンス」において優れた文章を書ける人は多いですが、「縦」、すなわち過去の偉人が残してきた知識や教養をもって文章を書ける人が少ないと思います。
昭和の文豪や、新聞や雑誌はその歴史的な文脈をもっているけれど、ウェブはそれが弱いから信頼できない。
じゃあ、孤立系ブロガーたちで、思想の系譜を継いでいく宣言をしようじゃないか。
ここまでが、孤立系ブロガーの集いで導き出された共通の考えです。(違ったらツッコんでください!)
孤立系ブロガーは思想の系譜を継げるか?
いくら素晴らしい理想を掲げても、実行が伴わなければ言葉遊びになってしまいます。
孤立系ブロガーがウェブに信頼の棒を傾けるためにできることは何か。思想の系譜を継げることを証明するためにできることは何だろうか。
話し合いで出たアイデアのうち有力だったのが、「孤立系ブロガーが古典作品を読み解く」という企画です。
孤立しているブロガーが縦の系譜を継いでいることを証明するため、それぞれで思想家の古典作品を読んで、それぞれのブログで記事を書いて公開するのです。
例えばこんな感じです。
- 小倉ヒラクさん:レヴィ・ストロース
- (チェコ好き)さん:トマス・ピンチョン
- タクスズキさん:ピーター・ドラッカー
- 鳥井さん:中国思想
- 木村すらいむ:アンリ・ポアンカレ
歴史に跡を残してきた偉人の著作は、やすやすと読み解けるものではありません。生半可な記事を書いたら、専門家を巻き込んで炎上する可能性があります。それを覚悟しなければなりません。
また、「孤立系ブロガーが古典作品を読む」は、具体的に公開場所スケジュールなどを詰めていないので、実現するとは言い切れません。読み込むのに1ヶ月以上かかると見積もっていて、途中で読むのに挫折する可能性さえあります。
ということで結局は気分次第なのですが、企画が実現されたらいいなあ。
古典作品を読んでブログを書く他にも、電子出版のレーベルを作ったり、トークイベントを行うというアイデアもでました。上に挙げられた著者らの作品をが語るトークイベントが行われたら、まさにカオスでしょうね。濃い人が集まりそうです。
「孤立系ブロガーの集い」の話はここまで。お読みいただきありがとうございました。
僕はまず、岩波文庫から出ているポアンカレの「科学と仮説」を読んでみようと思います。
2015年11月23日追記:
「科学と仮説」を読みました。その内容の一部を、数学をテーマとしたラジオで話しています。