どうも、木村(@kimu3_slime)です。
第二次世界大戦、広島と長崎に投下された原子爆弾。
その爆弾は、マンハッタン計画という計画の中で、科学者の集団によって生み出されたことを知っていますか?
マンハッタン計画は、科学と戦争について考えるための良い例だと思います。
今回は、計画の当事者の一人である数学者ウラムの自伝「数学のスーパースターたち―ウラムの自伝的回想」を読んで驚いたエピソードを紹介します。
軍事研究は科学者の好奇心を満たす
マンハッタン計画とは、アメリカにおいて1942年に開始された、原子爆弾開発のプロジェクトです。
背景には、1939年始まった第二次世界大戦があります。1938年にドイツでウランの核分裂が発見され、ナチス政権下で原爆が開発されようとしていました。その危機感から、アメリカでも原爆開発が行われたと思われます。
原子力を利用した爆弾を開発するためには、それを理解できる科学者が必要です。マンハッタン計画には、200億ドル近い莫大な資金が用意され、世界中から科学者が集まりました。
オッペンハイマー、ボーア、フェルミ、フォン・ノイマン、ファインマンなど、物理を学んだことのある人なら誰でも知っている有名な物理学者・数学者が集まってきたのです。
戦時下でいつ身が脅かされるかわからない状況で、科学者が自分の仕事である研究に取り組めるマンハッタン計画は良い環境でしょう。そして何より、世界を代表する研究者が一箇所に集まり議論できるなんて、科学者冥利に尽きることです。
基礎研究を好む科学者がモチベーションにしているのは、好奇心です。理学系の学問を学んだことがある人なら、好奇心を持って難問に取り組み、真理を解明していく気持ち良さには共感できると思います。
好奇心に比べると、研究の結果が社会にどう役立てるかは瑣末なこと。
実際、「数学のスーパースターたち」はマンハッタン計画の話が書かれた本ですが、タイトルにスーパースターとあるように、戦時下にもかかわらずあまりネガティブさは感じられません。大きく世界が変化しているはずなのに、いかに仲間と研究を進めていく場所が面白さが描かれているのです。
戦時下における原爆開発と政治をシニカルに描いた映画「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか(Dr. Strangelove or: How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb)」でも、緊急事態にもかかわらず呑気にしている人々の様子が描かれています。
世界大戦や原子力爆弾がいかに非現実的で、そのもたらす結果がいかに感覚的に理解しにくいものかがよくわかる映画です。ブラックジョークのブラック要素が強くて面白いですね。登場するストレンジ博士は、ノイマンやエドワード・テラーがモデルになったと言われています。
参考:博士の異常な愛情:または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか – KTの雑記帳
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科学者のみに科学研究の責任を負わせるのは無理がある
好奇心に駆り立てられた結果、原子爆弾が開発され投下されてしまった。
しかしそこでの研究におかげで科学は大きく進展し、原子力発電、コンピュータなどより良く社会を変える力を持ったものが生まれた。
僕はこの事実を学部4年生の時に知って、科学と社会の関係に興味を持つようになりました。
「自らの興味のために原爆を開発するなんて……」と憤る人はいるかもしれませんが、僕はその動機にものすごく共感できてしまった。そして、理学部の仲間たちもきっとその動機に共感できるだろうと思いました。
僕も、社会への応用をあまり意識せず、好奇心を持って研究に没頭できるタイプの人には、ぜひ研究を進めてほしいと思います。
しかし、研究活動のみに興味がある人ばかりが科学に携わるようになると、マンハッタン計画のように、戦争のために科学者が利用されることになりかねません。
原爆の父と呼ばれるオッペンハイマーは、原爆がまさか人に対して利用されることなるとは思わず、利用されてしまったことを後悔しています。参考:ロバート・オッペンハイマー – Wikipedia
国の資金によって活動している科学者は、国の政策に立ち向かうことができません。「国が間違っていることをしている時には、科学者は反論しよう」と口で言うことは簡単ですが、戦争状態においてポストを奪われ、下手したら殺されるリスクを持てというのも酷なものです。
クラウドファンディングなどを利用した、国や企業から独立した研究者が増えれば良いなとは、個人的に思います。
これからの科学と政治の話をしよう
僕がマンハッタン計画から学ぶことは、科学に関係する政策に人々が興味を持つことの大切さです。
原子力発電が典型的ですが、科学に関する政策は、国と科学者(専門家集団)によって一方的に決められてしまいやすいものなのです。その結果、普通の人々が予想していない変化が社会に起こってしまうことがあります。
日本に住んでいる僕たちには、科学や政策について議論する機会があまりありません。科学に限らず、「上がやってくれればいいでしょう、ただし上が失敗をしたら不満を言う」という姿勢が全体的に見られます。この姿勢はあまり建設的でないと思うのです。
僕は、僕たちの住む場所の未来を、話し合って決められる土壌を作っていきたいし、そのための知恵を持ちたいし、その姿勢に共感する仲間を探したいです。
そのきっかけとして、マンハッタン計画のエピソードを知っている人が増えればと思い、この記事を書きました。
科学や政治というとガチガチなイメージがありますが、サイエンスカフェのように、もっと気楽に楽しく話ができるようになれば良いですねえ。文脈ゼミは、そのための活動の一つです。
今回のような話に興味がある人には、「科学コミュニケーション論」「リアルタイムメディアが動かす社会 市民運動・世論形成・ジャーナリズムの新たな地平」もぜひ読んでみてください。
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木村すらいむ(@kimu3_slime)でした。ではでは。
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