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頭の中にないネットワークを使っている

今日は、ネットワークを使うことについて。

本を求めて、大学の図書館に行くことについて、考えてみる。

 

今の時代、OPAC というオンライン蔵書目録 がある。

それを利用すれば、あらかじめ探したい本の番号を知ることができる。

番号をメモしたら、図書館の地図から、その番号のところへ行けばいいだけだ。

付近にある本のことを知らずに、番号によってピンポイントで本を選ぶことができる。

それは、ネットワークのおかげによる物事。

 

ぼくは、そうしている自分に、物悲しさを覚える。

なんでだろうか。

 

図書館の中にある本の分布を把握しなくても、本を見つけることができてしまっている。

オンライン蔵書目録がなかった頃、本を探すことには時間がかかったことだろう。

その頃なら、きっとぼくも利用しやすいデータベースを待ち望んだだろう。

 

けれど今では。

そうしたデータベースがあって、リテラシさえあれば頭を使わず利用できる。

この、頭を使わない感じが、人間としてくやしい。

なので、ぼくの中に、蔵書目録をつくっていきたいと思う。

 

データベースやネットワークは、人がより質の高い情報を瞬時に得られるようにしている。

それによって、例えば、本を読む人が増えるのは喜ばしいことだ。

 

それと同時に、ぼくが懸念することは。

頭の中にネットワークを作らずに、ネットワークを利用できるようになってきている。

ぼくはそのことに疑問を覚えた。

これからはできるだけ、手探りで、頭の中にネットワークをつくっていきたい。

 

こんなところで。

ぼくからあなたに、聞いてもいいですか。

コンピュータや、ネットが出現してから、変わったと思うことはありますか。

それはどんなことでしたか。

あなたの声を聞かせてください。

木村すらいむでした。

ではまた。

 

この文章は、音声でも聞くことができますー。