「今やろうとしてたから!」
そんな風に考えたことはあるだろうか。
ぼくはあった。
ゲームを楽しんでいるときに、ゲームが終わったらやろうとしていた宿題を指摘されたときだ。
そして、大人になった今でも、体験してしまった。
自分が恥ずかしくなったので、書いて反省しようと思う。
人と集まってやる企画で、ぼくは企画書を書く立場だった。
ぼくの頭の中では、年内に軽い企画書を作って、年明け数日でそれを詰めるつもりだった。
そんなとき、グループの一人から声をかけられた。
”しっかり下調べをしている人、他にも活動している人たちはいる。きみが遅くては、みんなが困る。”
といった感じの内容を受け止めた。
まさにその通りの内容だな、言ってくれるのはありがたいと思いつつ、少しイライラしてしまっている自分がいた。
”やるべきことは共有しながらしているつもりだったのに、何もしていないかのように言わないでほしい” と思ってしまっていた。
その場ではもちろん相手の話を否定せずに聞いた。
そして、ぼくが自分を正当化しようとしていたことに気づいた。
ぼくは驚いてしまったのだ。
人の間での現状認識のずれって、当たり前のように起こる。
”なんであの人はちゃんと認識してないの”という事態が平然と起こる。
気づいた人にとってそれは自然と起こるが、気づいていない側がそれを告げられると驚く。
やっかいなのは、驚いたときに、今の認識を正当化しようとすること。
どんなに正論の指摘でも、”あなたの今の認識はあらめなければならない”と告げられると、受け入れられなかったりする。
その正当化は、ヘタすると相手への根拠のない怒りになったりする。
急な変化が起こるときの、イライラは抑えようがないものだと思う。
「あなたの考えは間違っている」と言われたときに、内容によらず受け入れてしまってはまずいことになる。
話についていけないときに「ちょっと待って」というために、必要な気持ちだ。
けれど、誠実な意見から耳をそらすようなイライラの使い方はしたくない。
「今やろうとしてたから!」と言いたくなったら、気をつけよう。
イライラしている気持ちは、よくよくよく考えてみると、自分に向かっているものだったりする。
そんなときに、相手にイライラをぶつけてはいけない。
思い直してみればいいと思う。
どうして、ぼくに向かって話しかけてくれているのか。
そこには、ぼくや誰かを思う何らかの気持ちがあるはずだ。
それを見極めて、落ち着いて対処しよう。