パーティー会場でざわつく心
自由に席を動いて話すような交流会にいると、自分の心がチクッとすることがある。
よく話す人やよく語る人、笑いや情報を提供する人が、まぶしく見える。
話したい人がいるときは聞いていて、話したい人があまりいないときになって、話す気分になったら話そうという姿勢でいると、ほとんど話さないまま会が終わる。
3人組で歩いているとき、狭い通路に差し掛かって、前で話す二人と後ろの一人になることがある。
ぼくはいつも、その後ろにいる方になる。
やっぱ自分は地味でアクティブじゃないんだなあ、って思ったりする。
どうしてそんなことを気にするのだろう?
アクティブで人を惹きつけるような人でないと、自発的に仕事ができない人なのではないかと見なされる不安が、心のどこかにある。
ただ、それは外からの客観的な見えやすさの問題なのだと思う。
目立ってチャンレンジしている人が、人の目に止まるのは当然だ。
人をそれほど巻き込まないタイプであっても、自発的に物事を進めている人はたくさんいる。
また、一般常識とされている話題に、身近で体験するまで興味がもてないということを気にしている。
人と話す話題に欠けるんじゃないかって、社会性がないんじゃないかって、未だに気にしてしまう。
もちろん、必要とあらば調べていく必要はあるだろう。ただ、はじめから何にでも興味をもっておく必要はない。
これらはぼくの性格なのだ。
ぼくはぼくの道を歩こう
自分のやや気にしすぎていた性格を、自信がもてるように整理してみよう。
ぼくは控えめだからこそ、人と一緒でなくてもやると決めたことはやる。
興味の対象を絞りきらないからこそ、様々な立場の人の話をワクワクしながら聞きたいと思う。
そう、自分の性格の何かに悩んでいたとしても、それを変える必要なんかない。
むしろ、そうしたことで気にしているときに役に立つのは、自分のことをよく知って受け入れることだ。
誰も歩んだことのないような人生を歩めれば楽しいのだから、性格を環境にあわせて変えることはないのだ。