人を手伝うのが大好き
僕は人の手伝いをすることが好きです。
例えば、パーティーの席の準備や後片付けをすること。それが、どういうわけかとても楽しい。
地味で注目されないけれど、人の手伝いになるようなことを淡々と進めていく。
自分だけが目をつけているようなことに取り組めていると、そのことにのめり込んで良い意味で自己満足します。
受動的な手伝いにならないように
人の話を聞き、こだわりを見つけて共に作業をする。それも僕の好きな手伝いです。
そうして話を聞いていると、たまに流されてしまうことがあります。
特定の一人の役に立つことで、他の誰かの役に立てないという事態を避けたいと思うのです。
ベースとして、僕は人を手伝う人です。
それに加えて、二人以上手伝いたい人がいる中で、短期的な視点で一人を優先的に手伝ってしまわないようにありたいと思います。
手伝いをするときの行動原理
人の手伝いをしてまわるときに、僕の中でルールがあります。
端的に言えば、組織の一人ひとりの納得を崩さないこと。
おいてけぼりをくらう人をなくすこと。
「重要なことを決める」手伝いをしたら、それを他の人に「伝えていく」手伝いをすること。
この辺りのものの考え方のベースは、中学生の頃に強くもっていた感情。
だから、一番自分の行動にあらわれやすいのです。ほぼ反射的。
人間関係にある思い込みを引き出す手伝いをしよう
喧嘩中の家族内のやりとりや、サークル内での意見のすれ違いを経験して、次のようなことに気づきました。
人は他人に対して、自分が想像する相手というものを作り上げて行動しています。もしそうした想像がなければ、人と一緒に行動することは困難になるでしょう。
ところが、その想像は気づかぬうちに思い込みとなり、目の前にいる相手の声が聞こえなくなってしまうことがあるのです。人は自分の主観を抜きにして相手を見ることができない、と言ってもいいでしょう。
お互いにわかりあえないように見える人たちは、実はそうした避けがたい思い込みによってわかりあえないと思っているだけなのではないか。間に入って一人ひとりの話を聞いて伝える人がいたら、思い込みが覆ってわかりあえるのではないか。
そう信じて、僕は人の手伝いをするのです。
人の主観と主観の間を、少しでも埋め合わせられたらと願いながら。
相手をきちんと見ることができないまま、「わかりあえない」と思ってしまう結末を迎えないように。