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人間的な関係を捨てた仕事に、何の意味があるのか。

良いところだけを見せた協力関係

互いの良い所だけを見てもらおうとする人間関係は、しあわせな関係だろうか?

就職活動の説明会にありがちなのは、スライド資料をもとにした説明が、8-9割の時間を占める形式。

一方的に伝える時間が長ければ、話す人が会社の良い面だけを伝えようとしてしまうだろう。

けれども、そういう形の説明で、自分に合う会社かどうかを判断するのは困難だ。

だから、そのために積極的に質問していく時間が与えられるのはありがたい。

ランチを食べに行く機会があったり、お菓子や飲み物のある交流会があると、人間的な話をしやすい。

双方向のやりとりが十分あってこそ、しあわせな関係、ミスマッチングではない関係が生まれるのではないだろうか。

 

人間関係を捨てた仕事をしない

就職活動はよく恋愛活動にたとえられる。恋愛と同じように、仕事の関係も人間関係がベースにあることを忘れないようにということだろう。

恋愛をするときに、腹を割らないのはおかしいわけだけれども、仕事での関係もそうありたいものだ。

例えば、営業活動の中で、会社の思いや個人的な思いを伏せた付き合いが起こると聞く。個人的には嫌だと思っているにも関わらず、目的のすり合わせがうまくいかないまま、飲み会に参加し、経済的な協力関係さえ得られれば良いと考える。

そうして、顧客が確保できたとして、どれほどの意味があるのだろうか。

恋愛をするのは、何が何でも交際相手を得るためではない。それと同様に、会社として活動するのは、何が何でも経済的に生きるためではないはずだ。

どうして、契約関係を得るために、人間関係を捨ててしまうのか。どうして、いかに簡単に人を支配し、いかに損をせずに人を利用するかを中心に考えてしまうのか。

 

人と人との違いを明らかにするだけの余力はある

もちろん、死ぬか生きるかギリギリの場面では、腹を割った関係などと言っている場合ではなく、人を利用することはあるだろう。

今の時代、日本などの先進国なら、どんな人と人間関係を結ぶかが選べるような時代になってきているはずだ。自由恋愛の時代になったとされているが、仕事も自由になっているだろうか。

経済的な豊かさが余ってきているのならば、より良い人間関係を結びながら生きていくことを目指すことを優先していきたいものだ。

 

人間的なつきあいを社会に取り戻す

共に暮らす人を選んだり、共に仕事をする人を選んだりするとき。そんなときに、人間としての関わりあいを軽視して協力をすれば、双方が「こんなはずじゃなかった」と思う事態が起こるのは当たり前のことだ。

目前の必要性に駆られて、人との関係をないがしろにしても、豊かになることはできない。

嫌なことは嫌と言い合えるし、考えの違いを明確にして、お互いが納得できる決断を共に下す。そうできるように話し合いの時間を取る。

今回は仕事を例に書いたけれども、恋愛関係でも、家族関係でも、友人関係でも、大切にしてゆきたいことだ。

経済的なコストをかけてでも、人と人とが、人間的な関係を取り戻そうとする。そんな社会を作っていくのが、人間らしいと思う。