日本人は言語化を嫌う? 大切にしたい考えは、言葉を使って語り継がれるものにしよう ー  「橋爪大三郎の社会学講義」を読んで

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ネットが登場してから、今では当たり前になっていることと、数年前に当たり前だったことが違っていることに気づくことはありませんか。それに、働くことに対する意識は数十年で変わります。個人の生き方とか社会のあり方も変わっていきます。

あり方は変わっていく中で、戦争や仕事にまつわる話題は今も昔もつきません。社会が変わってゆく先は、僕たちが望んだものになるのでしょうか

 

今起こっている望ましくない現実を、誰かのせいにして思考を停止するのは簡単です。では、そうではなく思考を働かせる方法はもっているかと聞かれると、それはそれで言葉につまります。僕は、社会を大きく変化させるための思想や力をもっていません。

そこで、社会に対する考え方を扱っている社会学の分野にヒントがあるだろうと考え、「橋爪大三郎の社会学講義」を読んでみました。特に”思想は命がけの産物だ”という章の内容が面白かったので、この記事ではそこで書かれていた内容を元に考えてゆきたいと思います。

 

橋爪大三郎の社会学講義

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僕たちは土台となる思想を作ってきたか

「お金を稼ぐことは悪いことだ」とか、「宗教はうさんくさいものだ」とか、「政治家は信用できない」という考え方に出会ったことのない日本人はいないでしょう。

僕は大学に入ってから、生活の様々なところに現れているこうした常識や思想はどのようにして生まれたのかということに、興味をもつようになりました。ここ1年くらいは、本を読んだり博物館に行ったりして、歴史を遡ることでそれを追求しようとしています。

 

そうして日本を見つめなおして気づくことは、日本には実にたくさんの思想が外国から持ち込まれ、それをそのままに受け入れていることが多いということです。

橋爪さんは、「自分の口から出た言葉に責任を持ち、言葉に表現された自己の思考に責任を持つ」ことに思想の基礎があると言っています。そして、日本には言語に責任をもつことを避けてしまう傾向があるといい、それは例えば、次のような「テキスト外来主義」を生み出したと言います。

 

信頼すべき思想の産物、すなわち優れたテキストは、国外からやってくる。それは、日本社会の内部で紡がれるはずがない。ーーこのような抜きがたい固定観念が、永らくわれわれを捉えてきた。仏教のテキストも儒教のテキストも、西欧思想のテキストも自然科学のテキストも、第一級のテキストはすべて海の向こうからやって来た。日本人は、このようなテキストを生み出せなかった。これは経験則にすぎないはずなのに、いつのまにか先験的な命題にすりかわってしまっている。

 

テキストを外から借りている他の例としては、憲法がそうです。ドイツのワイマール憲法を下敷きにした大日本帝国憲法や、GHQからの憲法改正要求によって始まった日本国憲法。「民主的な政治のために、法律を定めて国民が主権を獲得したんだ」という意識は日本にはあまりないように見えますね。

自分たちが大切にしている社会のあり方を言葉にして決定してこなかった結果、現状があるのだと思います。

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全員で合意して物事を決めようとするから、厳密な言葉が苦手

日本には、どうしてルールを言葉にせずに空気を読み合うような文化があるのでしょうか。このことは僕も昔から疑問でした。

 

このことに対する橋爪さんの分析を、僕なりに短くまとめてみます。

日本の社会の意思決定のタイプは、全員一致型です。例えば、「赤信号みんなで渡れば怖くない」ということですね。「いけないのかな?」と思っている人が居ても渡るという決断になったりします。一人ひとりが独立に意思決定を行ってから判断する多数決とは異なり、全員一致は必ずしも一人ひとりの意思決定に基づいていません。意思決定の場に参加していれば、反対者が居ても全員一致があったとみなす「合意」の考え方が日本の社会では重視されています。

そうした原則から、言葉や原則にこだわることを正当だとは思わない原則、すなわち「言語無効の原則」があると橋爪さんは主張します。

 

なぜ原則を言葉のかたちで確認することが嫌われるかというと、その結果、意思決定が状況に依存しなくなるからである。妥協のきかない原則が、目に見えるかたちで表されてしまうことは、合意の妨げになる。

 

属している集団やその場の雰囲気に応じて行動することが、ときに大人らしい態度とされる場ってありますよね。僕自身がそうした場に積極的に加わろうとすることはありませんが、そういう場が存在することには同意できます。

 

 

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言語の力を身につけて、自分たちなりの考え方を育てよう

ここまでで、日本人は言葉を使って意思決定する習慣がなく、そのため日本の政治や学問や思想がほぼ借り物になっているという話をしてきました。

それでも、日本には思想が全くないわけではなく、きっと僕たちの生活や習慣の中にも、言語にはなっていない思想が潜んでいるのだと思っています。

じゃあ、そうした大切にしたい思想を守っていくために、何ができるのか

 

橋爪さんは、言葉の使い方を考えなおすことが有効だと言います。

思想とは、言葉の用法である。ならば、言葉づかいを洗練する方向に、思想の第一歩を踏み出すしかなかろう。

日本人の言葉の用法は、これまであまりにも、状況を共有する人びとの間で合意を調達するためのものでありすぎた。言葉の本来の性能にたちかえって、状況を共有しない人びと、すなわち、「自分たち」ではない人びとのところへ届く言葉に組みかえるべきなのだ。それには、状況に依存しない定義の明確さ、構文の明快さ、倫理の一貫性を大事にしていく必要がある。日本語の中でも、こうしたことは可能であり、十分に実行できるはずだ。

 

この言葉には、僕は本当に勇気づけられます。このブログで文章を書くときには、ほんのすこしでも読者の方に考えるきっかけを提案したいという気持ちがあります。

僕が文章を書くことの原点には、人の生き方や価値観の違いを面白いと思っていることがあるのですが、その面白さを言葉で伝えるのは難しい。

それでも、暗黙になっている前提や、価値観や文化を見つけて、それを言語にして伝えていく活動をしてゆきたい。

 

今回「橋爪大三郎の社会学講義」を読むことで、言語になっていないものを言語化することの価値を信じることができるようになりました。

ここ数日、僕はブログを連日更新するという習慣を止めました。もしかしたら、気づいた読者の方もいるかもしれません。その理由は、無理にアウトプットをせず、考えるべき考えに時間をかけることで、丁寧にアウトプットをする癖を作りたいと思っているからです。これからは、じっくりと言語化する力を鍛えてゆきたいと思います。

 

それではまた。

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