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なぜ、地元を離れて東京の大学へ進学したかったのか。

どうも、木村(@kimu3_slime)です。

僕が東京都から高知県へ引っ越ししてから、2か月が経ちました。

最近良く考えているけれど答えの出ないことの一つが、「人はどうやって生きる場所を決めているのだろう?」ということ。

僕自身は、18歳の時に地元の群馬県から離れ、東京の大学へ通いたかった。今回は、まずその理由について振り返って考えたいと思います。

参考:なぜ、東京から引っ越して、高知の嶺北地域に住むのか? 学びのインフラとして個人大学、文脈ゼミをはじめます

 

都会が生産する情報の多さ

僕は、群馬県高崎市で生まれ、18年間を過ごしました。

そこで手に入る情報は、僕を東京へ向かわせるものが多かったのです。

例えば、家族旅行で東京タワーやディズニーランドへ行く。小学校の修学旅行では、上野のアメ横に行ったのを覚えています。

僕はテレビをあまり見ていなかったのですが、家でついていた番組「めざましテレビ」は東京の話ばかりしていました。

また、群馬県において良いとされている進学ルートは、高崎高校/高崎女子高校へ進学し、群馬大学か東京大学へ進学することでした。これは群馬県に限った話ですが、学力レベル・高学歴と呼ばれる大学は、都市に集中しています。ちゃんと学びたければ、都市に出た方が良い。

参考:「教わる」つまらなさよりも、「学ぶ」楽しみを。 文脈ゼミの手引きその2

テレビ局も、新聞社も、出版社も、大学も、群馬より東京の方が多い。だから、東京からの情報発信は多く、東京への興味を持つきっかけは多いんですよね。

 

小さな東京としての地方都市、高崎

群馬県の高崎市は、交通の便が良く、新幹線で1時間で東京へ行けます。東京の本店が高崎へ出店してくるという形で、東京の情報が伝わってくる。

高崎市は、群馬県の中では都会でした。群馬県の高校生は、休みの日になると高崎に遊びに来るそうです。

でも、僕は都市としての高崎が嫌だった。だって、それは高崎に東京を小さくしてコピーした機能を持たせているということだから。オリジナルが東京であるなら、この町に何のオリジナル性があるのかと思ってしまった。そんなに東京が好きならば、東京に住めば良い。

また、僕は高崎駅の東側に住んでいたのですが、そこにはロードサイドの文化がありました。高崎市の主要な道路である環状線と呼ばれる道が走っています。個人経営の店は少なく、安さを求めたお店が並んでいる。あの場所のお店、数年毎に中身変わっているよね、というお店も少なくない。時間が経つにつれ、ややアダルトな古物ショップ(ビデオ、本など)が増えて、低俗な印象を持ってしまいました。

ロードサイドの文化も描いている「ここは退屈、迎えに来て」に共感できてしまい、つらいです。

 

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この退屈さというのは、変化がないことです。高崎市も駅周辺を離れれば、田んぼや山が広がっていて、そういうエリアならばまだ変化を感じ取れたのかもしれませんが……。僕が生まれた時には、すでに田んぼが開拓され自然がなくなっていて、家も道も店もあって便利だった。そうなってしまったら、以降生まれていくものは、似たような印象の家、道、店ばかり。無限ループって怖くね?無限ループって怖くね?無限ループって怖くね?無限ループって怖くね?無限ループって怖くね?

ネガティブなことばかり書きましたが、戦後ここまで復興してきた高崎市の歴史は好きなんですよね。音楽センター、高崎だるま、山田かまち、ブルーノ・タウト、井上房一郎……。

参考:評伝・井上房一郎―都市文化を創り続けた男の物語― 

今になって思えば、変化がない町なら、自分で変化を起こせば良いじゃないかと思います。正論すぎますが。しかし、町に変化を起こすというのは一人ではできないこと。後に書きますが、高崎市でうまく人間関係を築けていれば違ったでしょうね。

一人暮らし、自立する手段として、離れた場所にある大学へ

高校生の時にバイトをして、経済的な収入を得ること自体はできる人間であると自分を確認した僕は、もっと自立する実験をしてみたくなった。

親元から離れて一人暮らしをしてみたい、自立したいというのは、人間誰しも思うことではないだろうか。親の言いなりになって、受け身に生きて、望まれた進路を意志を持たずに進むなんて嫌です。

その理由として、「大学で勉強するから離れる」という理由は親を説得しやすかった。大学受験に真面目に取り組んだのは、何かを強烈に学びたいという気持ちがあったからではなくて、どちらかというと今の環境を変えたいという思いだった

東京の大学へ進学した結果、人間関係を取り巻く環境が大きく変わり、考え方が変わり、結果として今は楽しく自由に生きている。

人間関係の選択が住む場所を左右する

地元から離れ東京へ来て、そのまま帰らなくなる同世代の子は多い。それでも、何かあると地元に帰り友人と会ったりすることがあるそうだ。

僕は、小学校・中学校に良い人間関係を築けなかった。学校で会う人と考え方が合わず、友達と思える人が一人もいなかった。家から少し離れた高校に進学して少し人間関係はマシになったが、大人になってから再び会うような友達はいない。勇気を出して、成人式の時に同窓会に出席してみたが、それきりである。

人間関係は、住む場所を決めるのに重要な要素だと思う。転勤をして、家族と一緒に暮らすために引越しをする人は多い。親の介護で実家に戻る人もあるだろう。それに、人は経済的な協力をするためだけに人間関係を維持しているわけではない。信頼できる人と一緒に時間を過ごすことが、何よりの財産、生きがいになることもあるだろう。

どこに住むかは、誰と住むかによって大きく左右される。家族のように一緒に住むわけでなくても、親しい人と近くに住むというのは大事なことだ。

僕はどこに住むかを考える時に、誰とどんな人間関係を築き、どんな生き方をしていきたいか考える。仕事や価値観が違う友人に、無理に合わせる必要はない。それでも一緒に過ごしたいなら、自分と友人の違いに向き合い、これからどこへ向かって行きたいかという話を積み重ねていく必要があるだろう

 

木村すらいむ(@kimu3_slime)でした。ではでは。