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「ネットの議論が不毛になる」のは、コミュニケーションの「場」を整えていないから。

どうも、木村(@kimu3_slime)です。

最近、「ネットでの議論が不毛な理由 – はてな匿名ダイアリー」など、「ネットでは議論ができない」という話をネットで目にします。

その内容には概ね同意なのですが、でも別に「ネット」だから「議論」ができないという話ではないなと思いましたので、それについてつらつらと。

 

ひとりごとが「議論」になってしまう場所Twitter

「ザ・ネットでの不毛な議論」と呼べるようなTogetterまとめ「確率に関してのやりとり」があったので紹介します。「小野ほりでいさんの漫画か!」ってくらいテンプレートじみています。( 参考:【Twitter】クソみたいなリプライ略してクソリプはどうして生まれるのか? – トゥギャッチ

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画像引用:確率に関してのやりとり – Togetter

主に二人の言い合いがまとめられているわけですが、この際、二人の主張のどちらが正しいかに僕は興味がありません

Twitterには相手の文意を捉えないリプライを呼び表す「クソリプ」という言葉がありますが、Twitterはひとりごとに唐突な横やりが入りやすいプラットフォームなんですよね。

連続ツイートをしていた中嶋さんは、ツッコミを入れられて、議論をする気がないと応答しています。一方で、数学的に間違った主張をしていながら数学について語っているのが引っかかってしまう積分定数さん。もうこれは不幸な事故としか言いようがないと思うんです。議論をする気がないのに議論になってしまった、電車の中でお互いに怒りをぶつけ合っている言い合いのようなものです。

Twitterのつぶやきは140文字が上限であり、ブログやTogetterまとめのように、まとめてタイムラインに表示されません。連続ツイートしている本人は連続している内容をつぶやいていると思っていると、外から見ると断片的なツイートが流れてくる。で、その断片が間違っていれば、リツイート・引用ツイートすることができてしまうこの連続ツイートがもし、はてな匿名ダイアリーやブログ上でなされていたとしたら、こんなことは起こらなかったでしょう

 

議論を成立させるための「場」に注目する

この例を持ち出して僕が何の話をしたいかというと、「良いコミュニケーションを行うにあたって、「場」の持っている力は大きいぞ」ということです。

ネット上での議論は不毛だという話は昔から、それこそ10年以上前からされている話でしょう。

社会派ブロガーのちきりんさんは、「一つの意見にまとめるような議論には意味がない」と話をしています。「そもそも議論をする必要があるのか?」という疑問を立てるのは良い視点だと思います。(参考:「話し合って決める」という幻想 – Chikirinの日記

dowangoとは関係のないかわんごさんは、「空気で議論するネットのひとたち」で、ネットの議論で行われがちな議論の論法を整理しています。

僕は上のお二人とは別の話で、議論・コミュニケーションに「場」が大きく影響していると思うのです。

議論は、ネットに限らず、場を整えなければできないものだと思います。

例えば、渋谷の駅前、いろいろな人が歩き回っている場所でいきなり議論をするのは難しいでしょう。また、普段から人間関係がギクシャクしている学校のクラスで、いざ学級会を開いても議論は成立しないでしょう。

場というのは、物理的な場所(place)の話だけではなくて、そこを取り巻く環境・状況(circumstance)を含みます。「どこで」議論するかだけではなくて、「誰と」「何人で」「どういう形式で」コミュニケーションするかが、そのコミュニケーションの中身に大きく影響します

 

コミュニケーションの場には何が必要か

コミュニケーションの場を整えるにあたって、言語学者のポール・グライスが提唱した「協調の原理(cooperative principle)」は役に経つと思います。あらゆる種類のコミュニケーションに通用する原則です。(参考:ポール・グライス – Wikipedia

協働の原理 cooperative principle:会話を行っている当事者同士が互いに認め合っている会話の方向づけに沿うような仕方で互いに文を発せよ。

さらにグライスは、これを量・質・関係・様相4つのルールに具体的に分けました。ざっくり言うと、適切な情報量で、嘘をつかず、会話のテーマに沿い、はっきりとした表現をすること。

例えば、次の会話はどうでしょう。

A これから映画を見に行かないか。

B 明後日試験があるんだ。

A 試験のことなんか聞いてないよ!

Aさんは「空気を読めよ」と言われそうですが、このBさんの発言は「会話のテーマに沿う」という関係のルールに則っていないとも言えます。そんな無茶なと思いますが、それくらい、現実の会話では協働の原理を成立させるのが難しいのです。先ほどの「確率に関してのやりとり – Togetter」でも、同じテーマで話そうとはしていませんでしたよね。

だから、意見がすれ違っていても、それを個人の間の対立だと考えすぎず、議論の場が整っていなかったのではないか、という考え方が大事だと思います。そもそもコミュニケーションを行うのはとても難しいことなんです。人やネットに絶望する前に、考えられることはたくさんあるなと思ったのでした。

Facebookグループを使った「文脈ゆるゼミ」でも、場に気をつけながらコミュニケーションしたいですね。(参考:Facebookグループを使ったおしゃべりコミュニティ「文脈ゆるゼミ」を作りました。参加者募集中!

木村すらいむ(@kimu3_slime)でした。ではでは。

 

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参考:科学コミュニケーション論における欠如モデル、文脈モデルとは?

参考:どうか、伝わらないコミュニケーションを続けるのは、やめてくれ。ぼくが手伝うから。