どうも、木村(@kimu3_slime)です。
ニコニコ動画の「例のアレ」カテゴリをしっかり語れる人にならなくてはと思い、社会学者の濱野智史(はまのさとし)さんの 「アーキテクチャの生態系: 情報環境はいかに設計されてきたか」を読みました。
本の帯で東浩紀さんが「本書ぬきにニコニコ動画は、そして日本社会は語れない。」と煽っています(笑)。もちろん日本においてなぜニコニコ動画が登場したかという分析も面白かったのですが、それだけではない。
メインは、ブログやSNSなどのウェブサービスを「ソーシャルなソフトウェア」と捉え直し、その「アーキテクチャ」はどうなっているかという社会学的観点から分析するもの。単に「ウェブ反対」「ウェブを推し進めよう」みたいな話でないのが良いですね。
アーキテクチャの生態系: 情報環境はいかに設計されてきたか (ちくま文庫)
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アーキテクチャと社会の循環的な関係
アーキテクチャという用語は、アメリカの憲法学者ローレンス・レッシグが「CODE―インターネットの合法・違法・プライバシー」の中で論じられたものです。
レッシグは、アーキテクチャを、規範、法律、市場に並ぶ、人の行動や社会秩序をコントロールするための方法だと言っています。
例えば、デジタルの音楽・映像の著作権を人々に守らせるためには、どんな方法があるでしょうか。「映画の撮影は禁止」と映画館で訴えかけるような規範的な方法、違法なアップロードを禁止する法律を作るなどなど。でも、それはどんなに厳しくしても抜け出てしまう人がいる。だったら、そもそもコピー自体を技術的にできないようにしてしまえばいいというのが、アーキテクチャ的な発想です。
この発想をウェブに適応したものが、「アーキテクチャの生態系」の内容ですね。
例えば、昔の日本のインターネットにおいては、勝手に日記を覗き見られるのが嫌だという感覚があったから、無断でリンクを貼ることが許されなかった。ミクシィは、こうした無断リンクをめぐる問題を、「足あと」というアーキテクチャによって強制的に封じ込めました。「誰が閲覧したか」をそもそも機能として入れ込んでしまうことで、ユーザー間のトラブルを少なくしたわけです。他にも、2ちゃんねる、Winny、ニコニコ動画などのウェブサービスを論じています。
特に、2ちゃんねるやWinnyをしっかり語ってくれているところが嬉しい。ウェブに理想を持った人からは、ブログこそ自由な言論の場であり、匿名的な掲示板はそうではないと思われてしまったりするからです。2008年に書かれた内容なので、その時点での未来予想はまちがっている部分もありますが、アーキテクチャという考え方自体は今も有効だと感じました。
本の最後では、アーキテクチャによってウェブを分析できるように、社会を分析できるのではないかと語っています。
なぜなら、「社会」というものは、本来であればウェブよりもさらに複雑で、多様なプレイヤーたちが織り成すエコシステムのようなものとしてあるはずです。
だとすれば、それもまた、偶発的で多様な進化のパスに開かれている。そしてその進化のパスに、私たちはアーキテクチャという新しい道具立てを通じて、関わりうるということ。もはや私たちは、なんらかのヴィジョンや合意を通じて、社会というものが変わるというイメージを抱くことが難しい状態にあるといわれます。著者もそのように感じている一人です。そのとき、こうしたアーキテクチャの設計を通じて、社会をいわば「ハッキング」する可能性を信じることは、筆者にとって、単なるオプティミズム以上のものを意味しているのです。
引用:アーキテクチャの生態系
「なんらかのヴィジョンや合意を通じて、社会というものが変わるというイメージを抱くことが難しい状態にある」というのは、いかにも現代的ですね。とはいえ、歴史的には偶発的に生まれるアーキテクチャを、「設計する」ことができるのかどうかは少々疑問です。
ともかく、アーキテクチャ(技術)によって社会が作られ、社会がまたアーキテクチャ(技術)を生み出すという循環的な関係がある。そういう相互作用があるのだとしたら、アーキテクチャを知ることが、ウェブ・社会をより良いものにしていく一歩でしょう。
ウェブ観察に社会性を見出す
僕が本を読んでいて鳥肌が立ったのが、本のあとがきでした。こいついつも本のあとがき引用してんな。
しかし、そんな一介のネットオタクでしかない筆者が、なぜネットにハマり、このような本を書くに至ったのか。それは、ネットに「社会的なもの」のコアがあると感じてきたからです。見知らぬ人々と出会い、議論する。時には協力する。あるいはいがみ合う。異なる価値観を持つ人々が、別々の空間に棲み分けていく。あるいは共通の価値観や規範を共有していく。──少なくとも筆者にとっては、ネットは社会から逃避する場所などではなく、むしろ社会空間の原初的な生成という場面に、ナマで遭遇することができる場所だったのです。
引用:アーキテクチャの生態系
インターネット観察が趣味であった人が、その観察の中で、そこにある社会に興味を持って、考察を深めて本を書く。まさに今の自分の境遇とピタリと重なり、共感しました(まだ本を書くほどに文章が集まっていませんし、考察は深くありませんが……)。
例えば、「aiueo700」さんは集団ストーカーの様子をYoutubeに投稿していたことがきっかけで、ニコニコ動画・にちゃんねるで話題となり、リアルに突撃する人が増えてきました。
参考:統合失調症患者と思われる動画投稿者「aiueo700」さんの思い込みであった集団ストーカーが現実化した。精神疾患を持った人とどう接するか?
アーキテクチャの生態系によれば、にちゃんねるの場合は、「dat落ち」というアーキテクチャがあるせいで、祭りを維持するために常に話題が必要で、そのためにリアル突撃が起こってしまうと分析されています。
僕が「アーキテクチャの生態系」で一番参考にしたいことは、自分の好きなものに含まれた発見を、社会の役に立つような形で提供することかもしれません。
木村すらいむ(@kimu3_slime)でした。ではでは。