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高知県は「幸福度」ランキング最下位なのか? 

どうも、木村(@kimu3_slime)です。

最近、「最新通信簿!47都道府県「幸福度」ランキング 幸福度1位は福井県、もっとも不幸なのは?」という記事を読みました。

パラパラと中身を読んでいると、何やら僕が住んでいる高知県はもっとも不幸らしい。

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画像引用:最新通信簿!47都道府県「幸福度」ランキング – 東洋経済オンライン

 

ここでの幸福度は、「健康」「文化」「仕事」「生活」「教育」の基本指標によって計測しています。2016年度版では、これらに合わせて65の細かい指標に分かれているようです。本「全47都道府県幸福度ランキング2016年版」を買わないと詳細がわからないのが残念ですね。こういうデータは、どのように数値化されたかによって、全く意味合いが違ってきますから。

そもそも……幸福や不幸をランキングにして、何の意味があるのだろう? とまず思いました。

「幸福」という概念は、一般的には主観的で相対的なものである。そのことを念頭に置きつつも、我々は地域に生きる人々の幸福を実現するための基本要素を踏み固めることで、自らの置かれている現状を客観的に捉え、地域づくりにつなげていくことが必要不可欠だと考えている。

このため、持続的・継続的に分析可能な枠組みとして、『日本でいちばんいい県都道府県別幸福度ランキング(以下、「2013年版」)』および『全47都道府県幸福度ランキング2014年版(以下、「2014年版」)』(いずれも東洋経済新報社)を出版した。

(中略)

高知県、沖縄県、青森県がそれぞれ47位、46位、45位となっているが、いずれの県でも仕事分野と生活分野で苦戦している様子が分かる。しかしながら、個別指標を見れば強みがあり、例えば、沖縄県であれば「人口増加率」や「外国人宿泊者数」が1位と、他県がうらやむような結果も出ている。このことから、それぞれの地域の強みを地域の総合戦略とリンクさせていく視点が重要と考えられる。

画像引用:最新通信簿!47都道府県「幸福度」ランキング – 東洋経済オンライン

数なくともこの記事では、各県ごとの詳細な情報が少なすぎて、上位の県がどうして幸福で、下位の県がどうして不幸なのかわかりません。これでは、「幸福」「不幸」のレッテル貼りになってしまいます。

そもそも、日本国内を県に区切って、上下をつける形で幸福度を提示することに何の意味があるのか、各県に「幸福か不幸か」を割り当てようとすることの意義が、やはりよくわかりません

 

なんでこんな風にしつこく反発するかというと、そんなに簡単に幸福の形は提示できるものではないと思ってしまうから。

ここでの幸福度というのは、結局「所得が多いか?」「働きやすいか?」「災害のリスクが大きいか?」「住みやすいか?」といった幸福を支える環境の充実度を示す度合いです。きわめてマクロで、行政的で、外側からの目線。

「所得が多ければ幸せ」というのは真っ当な事実かもしれませんが、目に見える所得はあてにならない場合があります

田舎(農村や漁村)の場合は、余った食べ物をおすそ分けしあう文化がありますが、その分食費が浮くため、所得が少なくてもやっていけるんですよね。また、田舎の場合は、地価が安かったり、持ち家を持っている人が多く、都市に住む人に比べ住宅費が少ない傾向がある。

だから、たとえ平均所得が少ない県であっても、食費・住宅費の支出が少なければ、実質の所得に大きな開きはない。例えばこういうケースはちゃんと考えられているのか。僕が文脈ゼミで読んでいる本「都市をたたむ 人口減少時代をデザインする都市計画」では、こういう話がしっかりされています。

結局のところ、客観的に提示された幸福度は、各県民が主観的に答える幸福度と一致するのでしょうか? その関係性がはっきりしないと、いくら環境的に不幸な県であると言われても、説得力がありません。貧しく住みにくくても、そこにいる人が幸せを感じている町・国っていっぱいありますよね。

 

木村すらいむ(@kimu3_slime)でした。ではでは。

 

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