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個人を起点にネットワークを育てること

どうも、木村(@kimu3_slime)です。

東京から高知に引っ越して気づいのは、人のつながりは大事だなということです。

いつもこの話をすると、「何当たり前のこと言ってんの?」という反応をされるので、書きながら考えてみます。

 

信頼できる人間関係の偶然さと代え難さ

人のつながり、信頼関係というものは、必然性のないものです。

家族や友達、信頼できる人間関係。それらの関係は、あらかじめ決められたことではありません。

例えば、友達関係は、それを定める法律があるわけではありません。家族にはそれがあるように思えます。しかし、信頼関係が切れれば、離婚します。一方で、法的な家族としての関係がなくなっても、信頼関係があればそれは家族のようなものでしょう。世の中には、大人になっても仲の良い兄弟もいれば、腹違いの兄弟もいます。籍を入れて別居している男女もいれば、籍を入れずに同棲しているカップルもいます。

信頼関係は、双方が信頼しあっているというただそれだけで生まれるもので、何の強制性もありません。それを強制する自然法則や社会法則はありません。

信頼関係を持ちうる人との出会いは、偶然です。子供は育ててもらう親を選ぶことはできません。友達とかも、たまたまですよね。そんたまたまに思える出会いから始まった関係で、生活を支えあって生きていくのですから、なんと有り難いものでしょうか。そんな関係は、商品のようにコピーして交換できるものではないのです。

 

信頼できる人がいれば、人生どうとでもなる

さて、信頼できる人間のネットワークは、価値を持っているという話でした。

だって、そうじゃありませんか? 例えば親がわかりやすいです。親だって子を選んだわけではないのに、そこに信頼があるだけで、生活費や教育費を払ってくれるのです。まず、経済的な価値の時点で大きいです。そして、学校では与えられない教育や、人生のモデル、困ったときの相談相手となってくれます。これはお金を出しても手に入らないような価値を持っています。コミュニケーションを取って同じ社会で生きることは、経済的に測りにくい価値を持っています。そうおもいませんか?

僕は、信頼できる人間関係から、大きな恩恵を受けています。いや、きれいごとではなくて、感謝というよりは価値を持っているということを伝えたいのです。

親は先ほど説明した通り。友人は、僕が自分を大切にすることを教えてもらいました。バイトやインターンでは、信頼関係があっての仕事ということを教えてもらい、フリーランスとして働くきっかけをもらいました。引っ越し先の家や車探しに、移住者のネットワークのお世話になったのは言うまでもありません。

なんだかだらしないやつみたいに思えますが、信頼できる人とつながっていると、人生がとっても簡単に生きられるんです。仕事がなくなっても、なんとかなるという気持ちでいられます。

 

個人を起点にして、望んだネットワーを作る

社会の全体は自分を信頼してくれるとは限りませんが、自分を信頼してくれる人はいます。

僕は、まず今僕を信頼してくれている人と、信頼関係を続けながら共に歩みたいと思います。

信頼関係は、今の時代なら、自分の意思で作りやすくなっています。ブログやソーシャルメディアという接点が生まれたことで、個人を起点としやすくなりました。今所属しているネットワークが合わなければ、あるいは自ら望むネットワークがなければ、作れば良いと思います。

木村すらいむ(@kimu3_slime)でした。ではでは。