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疑似科学を否定しようとする「科学的」な目線が息苦しい

どうも、木村(@kimu3_slime)です。

「水素水」って聞いたことありますか?(あやしいアフィリエイトの書き出しみたいだ……)

一時期話題になっていましたが、「効果が科学的ではない、疑似科学だ」ということで販売しないところが増えてきました。

参考:カルト的人気の水素水、東京工業大学の生協にまで蔓延 –  市況かぶ全力2階建

僕はこういう話題を聞くと逆に面白くなってくるので、あえて飲んでいます。水ですね。

 

 

 

で、僕が話したいのは、「水素水はいいぞ」「水素水は科学的ではない」という話ではありません。科学的に根拠が乏しいことは、以下の記事や動画を見ればなんとなく伝わってきます。

参考:活性水素水・(電解還元水)  – 疑似科学とされるものの科学性評定サイト

[nicodo]sm28890227[/nicodo]

 

なぜ、水素水を「非科学的だ」と訴える声が多いのでしょうか?

理工系の人・科学を信じている人って、非科学的なものを非科学的であるという理由だけで淘汰しようとすることが多い。けど、なぜ「ウケるw」と笑うのではなく、否定する必要があるのだろうか。その淘汰自体からは、宗教としての科学の側面が見えてくる。

擬似科学を信じている人に、いくらそれは「科学的ではない」と論破したところで、何の意味もない。疑似科学を使った商品の販売を止めることはできても、それを買う可能性のある人を減らすことにはつながらない。

そもそも擬似科学という切り取り方自体が、圧倒的に「科学」の側からのものの見方。商品を買う人は効果を信じて買っているのだから(効果がないと思って買う人はいない)、本人は似非科学だと思っていない。けど、外から「疑似科学」であると評価している。

どうして「科学的であること」があたかも絶対であるかのように思われているのだろう? 科学的であるということに、どんな意味があるのか。科学的であれば、正しいのか。間違っているものは、売ってはいけないのか。

科学はそれだけでは「ものを考える基礎」たりえない。ものにどんな意味があるか、正しいか、信頼できるかどうかは、科学だけでは判断できない。妖怪とか、オカルトとか、ファンタジーとか、フィクションとか、情緒とか、宗教とか、そういうものが科学的な考え方に押しつぶされないでほしいなと思った。

参考:「数学する人生」数学者・岡潔が詠った日本の情緒

 

木村すらいむ(@kimu3_slime)でした。ではでは。

 

 

2016年10月21日追記

僕の水素水・疑似科学についてのスタンスが、どうも説明不足だったようなので、追記します。

販売されていた水素水の効能は、科学的な根拠が結びつけられていますが、あまり信頼できるものではないと思っております。「科学的に根拠が乏しいことは、以下の記事や動画を見ればなんとなく伝わってきます」と上で書いた通りです。

水素水を購入する時も、その効能はまるで信じていませんでした。とはいえ、はなから信じないという態度で、水素水のこと切りとってしまうのも落ち着きません。なぜこれが売れるのか(買いたい人がいるのか)を知るために、実際に買って飲んでみるのが手っ取り早いと思ったのでした。

とはいえ、実際に飲んでみて特に害がないものであったので、「なぜただの水がこのように販売されることが否定されてしまうのか?」と深く考えずにブログを書いてしまった結果です。

これまで書いてきたブログで、このようなはてなブックマークでの取り上げられかたがなかったので、記述が甘かったと反省しております。

また、科学的な判断に対して(基本的には)疑いの目を向けているわけではありませんし、水素水を販売停止する動きを否定するわけでもありません。疑似科学を批判する人に批判をするなと言いたいわけでもありません。科学がファンタジーを否定するとも思っていません。(これらはどれも当たり前すぎて書かずにいましたが、書いた方が良いことだったようです)

まとめると、「水素水が体に良いかは分からないが、飲んでみたらただの水じゃないか。ネットを調べると賛否両論がある。科学・疑似科学について身近に触れて考えられる、いいきっかけになった。」という感じです。 10月22日追記:効能も根拠もない水だ。(ホメオパシーの例と違い)危険性はない。でも、疑似科学としてくくられることによって強く否定される。それが不思議だったが、不思議に思うのは、僕の無知のせいであった。

関連する記事も書きましたので、そちらもご覧ください。

「疑似科学はどうして批判されるのか?」ネット上の反応から見えた3つの理由

人を一方向的に裁ける「正しさ」がわからない

僕は議論が好きであり、嫌いである。

 

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