「数学する人生」数学者・岡潔が詠った日本の情緒

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どうも、木村(@kimu3_slime)です。

数学者・岡潔の著作「数学する人生」を読みました。彼は数学者でありながら、人間の心(情緒)を探求したエッセイを残していて、興味深く面白いんですよね。

2016年の2月に著された新しい本ですが、岡潔は1978年に亡くなっています。どういうことかというと、「数学する人生」は、「数学する身体」を書いた森田真生さんが編集しています。森田さんは岡潔の猛烈なファンです。

参考:数学を専門的に学んでいなくても面白い数学エッセー「数学する身体」

 

数学する人生

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岡 潔
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岡潔とは?

まずは、岡潔のことを簡単に紹介しましょう。

岡潔(おか きよし)は1901年に生まれた、日本を代表する数学者のひとり。

大学を卒業後にフランスに留学し、その後「多変数解析関数論」という分野で偉大な業績を残した。帰国後に助教授となるも、研究に専念するために退職。その後、研究の業績が称えられて朝日文化賞や文化勲章が授けられた。そして、「春宵十話」などのエッセイを残す。詳しくは、「岡博士のこと – 奈良女子大学」をご覧ください。

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引用:岡博士のこと – 奈良女子大学

 

わからないもの\(x\)に関心を集め続けること

僕は大学・大学院で数学に向かい合ってきました。

岡先生はポアンカレに影響を受けていて、「数学における発見がいかにして起こるか?」ということをよく捉えている文章を書きます。

 

例えばこれがものすごく良い。

情は常に働いていて、知とか意とかはときに現れる現象だから、情あっての知や意です。「わかる」というのも、普通は「知的にわかる」という意味ですが、その基礎には、「情的にわかる」ということがあるのです。

わたしは数学の研究を長くやっていました。研究中は、あるわからない「\(x\)」というものを、どこかにないかと捜し求めます。捜し求めるというより、そこにひたすら関心を集め続ける。そうすると、\(x\)の内容がだんだん明らかになってくる。ある研究の場合は、これに七年くらいかかりました。

\(x\)がどういうものかわかってやるのではありません。わかっていたらなにも捜し求めることはない。わからないから捜し求める。関心を集め続けるのです。

わからないものに関心を集めているときには既に、情的にはわかっているのです。発見というのは、その情的にわかっているものが知的にわかるということです。

引用:数学する人生 pp.37-38

わからない\(x\)に関心を集め続けることで、だんだんとその中身が明らかになってくる。

僕も数学の研究をするときに、わからないものに意識を向け続けることの大切さを知りました。来る日も来る日もわからないけれど考え続けることで、やがて何らかの答えが見えてくる。岡先生は、「注意とは、意を注ぐことである。」とも言っていますね。

 

「漠然としたアイデアをたくさん出すことで、その中にまぐれあたりがある」という方法にも納得しました。

「でたらめ」を並べる

二つ目は、私は数学の研究でポシビリティ(可能性)というものを手がかりにする。このポシビリティよりももっと漠然としたもの、つまりポシビリティのポシビリティというものがある。一口に言うと「でたらめ」である。これを毎日一つずつ考える。この「でたらめ」を十ほど並べてみると、その中には一つくらいポシビリティがある。このポシビリティをまた十ほど並べると、そこに一つくらいファクト(事実)が見つかる。百の「でたらめ」を並べてやっと一つ事実が見つかる。

こんなことを繰返しているうちに、何年かして一つの研究がまとまるわけだが、一年三百六十五日、毎日「でたらめ」を考えるともなく考えている。これがまた、健康法に合っているのじゃないかと思うのである。

引用:数学する人生 pp.183-184

このやり方は、僕の大学時代の指導教官にも教わりました。「無茶苦茶な仮定をつけてもいいから、とにかく何か言えないか試してみなさい。」こじつけでもかじりつくことによって、見当はずれの仮説も生まれますが、可能性のある仮説も生まれる。100発打って1発当たれば儲けものですね。

 

芭蕉が残した価値判断に学ぶ

岡先生は、人間の心、日本の情緒というものをよく考えた思想家でもあります。

フランスに留学していた時に、そこになかった日本的な考え方に気づき、松尾芭蕉の俳句をよく味わいました。また、帰国後に仏教に入信したため、仏教的な思想も含まれています。

芭蕉を代表とする明治以前の日本人と、明治以降に入ってきた思想に影響された日本人を比べ、次のような指摘をしています。

ところで芭蕉は本当によい句というものは、十句あれば名人、二句あればよい方である、という意味のことを言っている。こんな頼りないものの、わずか二句ぐらいを得ることを目標にして生きてゆくというのは、どういうことだろう。にもかかわらず、芭蕉の一門は全生涯をこの道にかけてきたようにみえる。どうしてそのような、たとえば薄氷の上に全体重を託するようなことができたのだろう。この問題は在仏中には解決できなかった。帰ってからよく調べているうちに、だんだんわかってきたのであるが、その要点をお話ししよう。

「価値判断」が古人と明治以降の私たちとで百八十度違うのである。一、二例をあげると、古人の物は、

「四季それぞれよい」「時雨のよさがよくわかる」

である。これに対応する私たちのものは、

「夏は愉快だが冬は陰惨である」「青い空は美しい」

である。特性を一、二あげると、私たちの評価法は、他を悪いとしなければ一つをよいとできない。刺激をだんだん強くしてゆかなければ、同じ印象を受けない。こんなふうである。これに対し古人の価値判断は、それぞれみなよい。種類が多ければ多いほど、どれもみなますますよい。聞けば聞くほど、だんだん時雨の良さがよくわかってきて、深さに限りがない。こういったふうである。芭蕉一門はこの古人の評価法に全生涯をかけていたのであった。

この古人的評価の対象となりうるものが情緒なのである。

引用:数学する人生 pp.143-144

「私たちの評価法は、他を悪いとしなければ一つをよいとできない。」ここにめちゃくちゃ同意しました。

今ちょうどプラトンの著作を読んでいて、そこで出てくる「良いものの反対は悪いものだ」という論法がよく出てくるんですよね。物事を二つに分けて考えるのは、論理的な考え方のはじまりで、合理性、分別とも呼ばれますが、とても大切な考え方です。

しかし、「悪いものを見つけなければよいと認められない」ということを岡先生は指摘している。「青い空は美しい」ということは、「青くない空は美しくない」ということを暗に含んでいる。この捉え方は仏教では「分別知」として乗り越えるべきものとされています。「種類が多いほど、どれもみなますますよい」というのは、「無分別智」と呼ばれる考え方。

参考:なぜ西洋において論理が重視され、日本ではそうではないのか? 近代合理主義と仏教の違い

岡先生は、時間と空間を当たり前のものとして認める物質主義的な思想を否定します。自然の中に人間の心があるのではなく、人間の心の中に自然があると考える。

そのため、個人主義的なものの見方も否定します。その見方だと、人間の生きている社会という小さな範囲しか見えず、やがて戦争を引き起こすかもしれない。人間社会の外側に目を向けると自然界があり、さらに目に見えない世界である法界(ほっかい)がある。数学とは、まさに目に見えない世界に思いを馳せる活動だなと気づかされました。

参考:なぜ関数という概念が生まれるのか? 自然の内在観

参考:戦争に飲み込まれた科学者の好奇心 マンハッタン計画と原子爆弾

 

岡潔は、軍事や産業のためや、社会の発展のために数学を研究しませんでした。

ただ数学のために数学をした。

数学する人生」は、「目に見えるもの」や「役にたつもの」を追い求めがちな僕たちに、日本の情緒を振り返らせてくれます。

木村すらいむ(@kimu3_slime)でした。ではでは。

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