かつて、読み書きできることは美徳であった。今は?

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「読み書き」の「書き」(表現して伝えること)について。

今では、日本に住む誰もが、書く能力を誰もがもっているかのように思われているのかもしれない。

けど、実際はそうでもないよね。

ぼくも小学生の頃は、感想を書く作文の課題で、書けなくて半泣きになったことがあった。

それに、「ぼくはこうでした」という感想以外の、伝える文章を書ける人って、それほどいないような。

今の日本の国語教育において、ライティング教育の内容は、少ない。

 

文化として、公開することを苦手としているのかもしれない。

日本は島国だからとか、内にむいたコミュニティが多かったからとか、そのことが大きく影響しているとは言わないけれど。

前提について触れて、わかちあうみたいなコミュニケーションって、苦手とする人が多いんじゃないかな。

不文律を良しとする風土もあるというか。

前提を確認することが危険視されうる環境もあるというか。

すでに友達じゃないと、見知った人じゃないと、同じコミュニティに所属していそうな人じゃないと。話しかけられない、みたいな。

そういう、コミュニケーションの弱さの傾向はあるよね。

 

だから、書くことについての問題は、書くことに関係しない部分からくるところが大きいだろうと思うんだよね。

それが何なのか、ちょっとだけ気になっている。

「書く」っていう言葉はわりと誰でも使うけれど、「表現する」という言葉だとそうでもなくなってくるよね。

そういう部分って何なんだろう。

 

文字を読んだり、書いたりすることって、昔はものすごいスキルであったし、美徳であった。そういう話を、母から聞いた。

文字を読み、文章を書けるというだけで、良い暮らしができる可能性が増えた。

数話しか見ていないけれど、2014年上半期のNHK連続テレビ小説「花子とアン」。

あれは、読み書きができたことで、翻訳という仕事について生き方が変わった話だと思っている。

小野妹子や、鑑真や、津田梅子といった人々だって、読み書きについて思う所はあったのだろうなあ。

読み書きの大切さを知るために、旅行しろとか留学しろっていう人がいたら、なるほどなあって思う。

 

今の時代では、書くこと?ライターの仕事?みたいに思われて、一部の人にしか必要とされないものと思われているんじゃないか。

書くことが、リテラシーや教養としてあまり注目されていないんじゃないのか、と思う。

 

昔と今では、何が変わったのだろう。

戦争が終わって、日本に住む人の暮らしは、経済的には均一な方向に近づいた。

誰もが等しく、読み書きできるように見える環境になった。

そして、読み書きの大切さを感じる機会が、日常にあんまりない。

お金以外の、文化的な部分の差。それが見えにくい。

そういうことって、あるよなあ。

 

あなたはどんなときに、読んだり、書いたりしていますか。

読み書きの大切さって、感じることがありますか。

あなたの反応をお待ちしております。

木村すらいむでした。

ではまた。

 

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