今回は、なくなった駄菓子屋、つぶれてしまった駄菓子屋についての話をします。
ぼくが覚えている駄菓子屋。
小学生のとき。ぼくは、群馬県高崎市の、比較的大きな駅があるまちの、駅の東側に住んでいました。
二つの駄菓子屋さんに、覚えがあります。
一つは、小見製菓。今でも、続いているお店です。
コンクリートの壁の、和菓子屋さんっぽいお店。
付近を通ると、あまーいにおい、砂糖のにおいがします。
その記憶が、小学校の頃の記憶として残っています。
小見製菓という名前にあるように、製菓、お菓子をつくって売るお店なので、今でも続いているのかなあ。
10円であめ玉三個買えますしね。
もう一件の駄菓子屋は、たぶん名前がなかったと思う。
小学校の校門の向かい側くらいのところにあって。
木造の一軒家の、駄菓子屋があった。
駄菓子屋らしい駄菓子屋だな、と当時も思っていました。
おばあさんがやっているお店でした。
ですが、いつの頃か正確にはわからないのですが、つぶれてしまいました。
ぼくが中学生だった、2002-2005年とかそのくらいですかね。
つぶれてしまった駄菓子屋。
ぼくなりに、どうしてつぶれてしまったのか考えてみようと思う。
二つの要因がある。
一つは、地域の環境が変わったこと。
小学校の近くに、車100台がとめられるような、大きめのスーパーができた。
新しいお菓子も売っていて、お菓子の品揃えも良かった。
子どもたちが、外を自由に歩きにくくなった。学校や親などからの指示。
寄り道しない。買い食いをしない。不必要なおこづかいを持ち歩かない。
治安の悪さとかを心配してでしょうけど、それによって外で遊びにくくなったかなあと。
もう一つは、中で遊ぶ子どもの娯楽が増えたこと。
小学生くらいなら、お菓子を買うのは楽しい子が多いんじゃないかなあと思います。
それでもぼくはそれほど駄菓子屋に行っていた記憶はなくて。
なんでかなあと思うと、テレビゲームがまずあった。
また、外で虫とかを捕まえて遊べる場所も少なくなってきていた。
草の生えた空き地が、埋め立てられて家、駐車場、お店に使われるようになった。
用水路など、子どもが踏み入って遊べる場所が少なくなった。
外で遊んでいる時間が減れば、やっぱり駄菓子屋さんに行く機会も減るでしょう。
昔ながらの駄菓子屋さんがつぶれてしまった要因。
娯楽や地域の環境の変化によって、子どもたちの時間の使い方がかわってきたから。暮らし方が変わってきたからだと思う。
ぼくが思うこと。
最近のぼくは、駄菓子屋的なもの、虫とり遊びのようなことをしているのかなあ。
していないんじゃないかなあ、と思って。
東京に住んでいると、整備された空間にずっと居る感じで。
外出していても、中で遊んでいるんじゃないかなあという気分になりますね。
こんなところで。
ぼくからあなたにききたいことがあります。
あなたは、どんな駄菓子屋さんを覚えていますか。
その駄菓子屋さんは、今でも残っていますか。
あなたの声を聞かせてください。
木村すらいむでした。
ではまた。
声で聞きたい方はこちらをどうぞ。