最近、3人から5人くらいで一つのテーマについて話しあったりすることがある。グループディスカッションと呼ばれる活動だ。
話し合いをしなければ、個々人の立場はバラバラで、全体としてうまく動かない。
そんな話し合いのとき、ぼくは議論の記録係のような立場に居ることが多い。
「記録係はこうあるべきだ」と思うところを書いてみよう。
話し合いの場で、誰も記録する人がいないと不思議に思う。
そうして、「記録とって後で共有した方がいいと思うので、やる人がいなかったらやります」と言ったり言わなかったりする。
一度きりの集まりなら記録は必要ない。
けれど、何度も集まって進めていくような活動なら、記録していくことは必要だろう。
ただでさえ、話し合いというのは迷走しがちなのだ。
最低でも、「何が意見としてまとまったのか」は蓄積できるようにしておきたい。
余談だが、リーダーと観察者は協力関係にあったほうがよい。
リーダーは、不完全な地図をもったまま、議論を掘り進めていく方向を先導する。
記録者は、その進んでいった方向を記録しながら、地図をつくる。まずい方向に進んでいると気づいたら、リーダーに提言する。
さて、記録する立場にどうあってほしいかについて考えてみよう。
書くことに手一杯では、記録する立場は難しい。
余裕が要る。
それぞれの立場の人に耳を傾けるための。
揃ってきた材料に疑問があったときに、それを話し合いの場へ投げ込むための。
記録者は、ともすれば傍観者になってしまう。
では、傍観者と記録者の違いはなんだろうか。
組織内における記録者は、傍観者のときはなかったような義務をもつのだ。
すなわち、記録を見て気づいた問題点を、共有するということだ。
わかりやすいところだと、進路指導の先生、みたいな立場か。
各クラスの担任は、そのクラスの生徒の様子や成績を知っている。
それに対し、進路指導の先生は、一学年全体としての成績を記録している。
何らかの援助が必要なクラスがあれば、そのクラスの担任に助言する必要があるだろう。
記録する立場の人でないと、橋を渡すようなアドバイスはやりにくい。
公的に記録する立場になるなら。
頭を止まらせて、トレースしていてはいけない。
受けとった声をつなぎあわせて、全体像をつくりながら。
議論の足りない点を見つけだして、全体に示していってほしい。