言いたいことを言うのは、簡単だろうか。
ぼくは少し苦手である。
伝えるときには、相手のきもちを考えてしまう。
そんなことを考えてみる。
ある計画をスムーズに進めるために、4人くらいで話し合いをすることになった。
そのうち、Aくんは、正直なやつだった。
正直に批判的な考えを述べるので、ときに相手の流れを遮ることもあった。
そして、Aくんの言っていることは、自分からみても正論と思えることだった。
さて、そんな性格の人がいたら、あなたはどのように受け止めるだろうか。
「その態度は、毒舌的だ」
「正論だけどさあ…」
といった反応も、あるだろう。
ぼくは、正直にものを伝えようとしている人の意見を、大切にしている。
例え、言い方がきびしかったとしても、だ。
親しくない間柄であれば、思っていることはそのまま伝えにくい。
ずっと包み隠したままでは、なかなか親しくなることはできない。
だから、ぼくもできるだけ正直にものを言おうとする。
それではうまく進まないと思った時は、声を出す。
いいと思ったことには、いいねと伝える。
ありがたいときには、ありがとうと言う。
けれど、そのままの表現では伝えられないなと思う瞬間もある。
正直に表現することが、正直に伝わることを保証するわけではない。
怒っている相手に、きびしい言葉を伝えても、反発するだけだ。
聞き手は、聞き手の眼鏡でぼくの話を聞いているのだ。
正確な表現でなくなっても、べつにいい。
伝わるならば。
正しい意見をそのままに見れる人は、なかなかいない。
人は、ロジックだけを受け止められるほど冷静な生き物ではないと思う。
ぼくは、伝えるときには、あなたのきもちを考えずにはいられない。
あなたのきもちになろうとは思わない。
もともと、あなたのきもちなんて完全にはわからないし。
けれど、きもちは見続けていたい。
きもちを見なければ、「そこにいるあなた」に向けた伝え方ができない。
最終的にあなたに届くものを、これからも考え続けようと思う。