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あなたは、悲しい思いをする人が少ない社会を望みますか。

ブログを通して、唐突に重めの話題を見せることについて思ったこと。

なんだか個人的な話なのだが、あなたの周りでそういう話題がでたときの参考になればと思って書く。

 

昔から知ってるAくんと、数回しか会ったことのない2人とぼくで話をしていた。

ぼくが生き別れの妹がいるとかいう冗談めいた話をしていたら、Aくんはぼくのブログのあの記事を2人に紹介した。

ぼくはそれを止めなかった。

 

沈黙。

どう反応していていいのかわからなかっただろう。

ぼく自身、回数重ねて会ったことのある人にしか話したことのないネタだったから、対処方法を心得ていない。

面白い話をしたり、別の話題を振ったり、笑わせる話をするのは苦手だ。

過去のことを話すと、”今は大丈夫なんだよね?”、”もしきみを傷つけてしまっていたらすまない”、”おつかれさまです”的な反応をいただくことが多かったか。

逆にぼくが聞く立場だったら、そのくらいしか言うことないような。

 

 

ちょっと公共性のない見せ方だったような気がした。

ぼく一人だったらそのように見せなかった。配慮が足りなかったのに、止めなかった。

リカバリする方法も知らず、明確な狙いがなくそういうことを考えさせるのはどうなんだろうなあ。

そこが2人に申し訳なかったところで、はずかしい。

 

その後、Aくんについてぼくは怒らないのかと尋ねられた。

Aくんの行為については面白いとは思っている。

が、2人への反応への気遣いに欠けるように見えたのが気に食わなかった。

これは、ぼく自身への気に食わなさと混じったものだろう。

 

ちょっと話はそれるが、”怒らないの?”って聞かれたことは何度かある。

ぼくは怒りの気持ちについて鈍感なのだ。

ナーバスになることに何の意味があると考えてやめてしまう。

感情的にならないので、冷たい人間に見えるのかもしれないなと思っている。

 

今回の話では、ぼくは何が一番気になったのだろう。

結果の部分については、申し訳ないとは思うけれど、もう起こってしまったことだ。

ぼくがそういう過去の重めの話を公開する狙いが説明できなかったことだろう。

少しのつらい思いをして知ってくれた人に、何を伝えたいか。

 

悲しいように見える話は、ぼくだけの話ではないんだ、ということ。

親が喧嘩していたり、離婚していたりする家庭はふつうにある。

そんな家庭の子供は、いい子に見えて、表面からは想像できないものだ。ぼくだってわからない。

 

あなたがもし、悲しい思いをする人がより少ない社会を望むなら。

身近な人に、目を向けていてほしい。

家族でも、友達でも、道行く親子連れでも。

誰がどんな事情をもっているかなんてわからない。

話を聞くくらいのことしかできない。

ただ、最近どう?とか話かけて、色々な人のことをわかろうとしてみてほしい。

問い詰めないで、ただ耳を傾けて。

声をかけて人の話を聞くこと、まずそれができることだろう。