あなたが生まれた時のことを思い出してみてほしい。
ご飯を食べるか、トイレにいくか、遊ぶのか。
生まれたての時は、何にも決められなかったはずだ。
成長するにつれ、だんだんと決められることは増えていく。
極端な話、何にも決められない状態って、生きているといえるのかどうか疑わしい。
寒い冬の日に、何もせず凍え死にそになったことのある人はいないだろう。
普段より服を着込んだり、部屋にこもるという決定をするはずだ。
つらい目にはできればあいたくないし、死にたくはないのが、普通の人なのだから。
かといって、全てを支配することに、すべてを賭けたいわけでもないものだ。
お金や仕事、対人関係を、得られるなら得たい、ある程度は決めたいと思う人は多いはず。
それでも、すべて自分の自由にするには、とてつもないコストがかかる。
例えば、数百人の仕事を決められる立場になりたいとしても、一つ会社を立ち上げてそこまでにするというのは大変なことだ。
人生の時間は有限だし、体も疲れてくるし、決める立場になることにすべてを費やしては意味がない。
何も決めないわけじゃないけど、何もかもを決めたいわけじゃない。
じゃあどうするの、ほどほどのところで、何を決めたいと思うのって話にいきついた。
まずは健康的に生きたい。住処と生活費があって、食べたり、遊んだり、考えたり、人の役に立つことをしたり。
それができるためのお金のあては、親や人からの対価のない支援ではなく、自分がしたことによって得るようにしたい。
ここまでのことに迷いはない。
けど、仕事などにおいて、どれだけ仕事をつくるか、あるいは与えてもらうのか、その配分に迷っている。
どれだけ決めて、どれだけ頼りたいか。
悩めばいくらでも悩めちゃうような話なので、今のところのぼくの考えを。
ぼくは一から仕事をつくれるような人になるためには、時間をかけてこなかった。
これからはわからないが、単身でやっていくスタイルへの疑問が解決されない限り、そこまでのめり込まないだろう。
会社に入って枠としての仕事を与えてもらいつつ、チームで働くのはしっくりくる。
チームの中で、「このことなら仕事をつくれます」という立場は、楽しいと思う。
それができずお荷物になってしまいそうなら、もう少し人に教えてもらえるような職場を探していくだろう。
これまでの人生で決めてもらっていたことを、ちょっとずつ自分で決めていけるようにしていきたいなあと思うのであった。