エビングハウスの忘却曲線という言葉を見て、ふと思い出したことがあった。
覚えていない単語をひたすらメモ帳に書き溜めて、日に何回かレビューしていた頃があった。
英単語をコレクションしていく感覚。
大学受験を控えた高校3年生の頃だ。
単に覚えるだけのことを、あの頃はなぜできていたのだろう。
卒業が決まった頃、どうやって受験勉強をしたのかを、下級生に向けて話をする機会があった。
その頃、ぼくは話をつくる能力がなかったので、勉強の方法とかそういう表面的なことを話した。
そういう、勉強のやり方についての話をするとき、ひっかかることがある。
人から方法を聞いたってしかたないんじゃないのかってね。
それは既に、勉強がそこそこ楽しいものだと思っている人が参考にするものだ。
とっても効果的な方法を知ったところで、それを使いたくなる気持ちがなければ、物にならない。
将来のためとかいう理由で、人は動けないと思う。
少なくともぼくは動けない。
おもしろくないと思っているものに時間をかけようとするなんて、どうかしている。
勉強法を試すのが面白いならそれをやってみればいいし、つまらないならやらなければいい。
周囲を気にして、やらなくちゃいけないかなあみたいな気持ちで取り組んだことは、なかなか楽しくならない。
何が言いたいかっていうと、周囲の事とか気にせず、おもしろいと思えることをやってれば楽しいと思うよーってこと。