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”あなたのためになるから”は、誰のための言葉か。

”その人のためになる”という理由で、人に何か物事をやらせることに疑問をもっている。

学校へ行かせるとか、仕事をやらせるとか、何かプロジェクトをやらせるとか。

いくらためになるとはいっても、強いるしかないとしても、相手の意思を第一に置かない行為に反発を抱いている。

アドバイスという体をとって、人の判断を削いでしまうのもどうかと思う。

 

”きみと一緒にやると、自分が楽しいからやろうよ”は、わかる。

”きみのためになるから、やろうよ”はわからない。

”あなたのためになるから”というのは、自分にとっての何らかの目的を伏せているのではないか。

 

人は外界を評価しようとする性質をもっている。特に、人を外から評価しようとする。

だから、人は自分自身を評価できるように保っておかなければ、死んでしまうと思う。

外からの評価が直接自分の評価だと思い込んでしまえば、不幸なのかしあわせなのかを自分で決められることができない。

 

相手の意思を超えてまで人に指示を出す行為に、ぼくは反対したい。

人の行いがどんなに間違っているように見えたとしても、尊重したい。

もちろん、自分に害が及んでくるようならば、自分の意思から反対するけどさ。

人の意志をもった行動を、外から価値判断して踏み込まないようにいたいな、と思うのでした。