すんごく当たり前に思えるようなことについて、考えていこうと思う。
シューティングゲームのパターン化
ぼくはゲームプレイが好きだ。
特に、シューティングゲームをしてきた時間は長い。
今日も、超連射68kというゲームをプレイしていた。
スクロール型シューティングゲームは、敵の攻撃を移動して回避し、逆にこちらの攻撃を当ててボスの撃破を目指すゲームだ。回数制限はあるが、一時的に無敵になりダメージを与えられる、ボムという機能があったりする。
ステージ制だと、エンディングまでの時間は短く、たいてい、何回もプレイしてクリアを目指す形になる。
がむしゃらにプレイしていたら、いつまで経っても先へ進むことができない。
かといって、ステージのすべてを記憶することはとてもできない。
そこで、頭を使うのだ。
「この場面は決まった方法で対処できないか?」
「この敵の攻撃には規則性があるのではないか?」
そう考えながら、アホみたいにトライしていくと、だんだんと攻略法がわかってくる。
これは、いわゆるパターン化と呼ばれる攻略法だ。
話はずれるが、ぼくはこうして推測を立てながら試行していくことをとても面白いと思っている。
ゲーム以外でもパターン化
今回はシューティングゲームを例に考えてみたが、パターン化はあらゆることに用いることができる。
数学はその極みで、様々な例を作っていくうちにパターンを見出して、定義を与えたり定理を見つけ出したりする。これは他の学問にも共通することだ。パターン化は、帰納法とも呼ばれる。
学問でなくても、もっと原始的に、ぼくらの行動の多くはパターン化によって成り立っている。自転車に乗れるようになること、言葉が使えるようになることなどなど。
流れを振り返ってみる。パターン化とは、次の一連の工程だ。
例をもってくる。それを観察したり、比べてみたりする。これを繰り返す。そうしているうちに、法則らしきものが見つかる。その法則は本当に正しいものなのか、例にあてはめて検証する。
検証のときに、100%の正しいとは何かがはっきりしないこともゲームや現実ではある。そのときは、最も信頼できることとして説を利用していけばいい。運用に問題が出てきたときになって、説を疑えばいい。
パターン化する。この考え方は、繰り返して言うが、「あらゆること」に使える。
わけのわからないことにも、どこかで規則性が見つかるんじゃないかと考え続けること。
当たり前すぎて忘れてしまうが、大事なものの考え方について考えてみた。
一年ほど前に、こんな本を読んだ。推測の作り方、検証の仕方について感銘を受けた。
数学における発見はいかになされるか〈第1〉帰納と類比 (1959年)
丸善
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