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つい聞き続けてしまう話には、「事実」と「思い」が両方ある。

ぼくは話を聞くのが好きだ。

聞いていて、面白くて、ついつい長く聞き続けてしまうことばかりだ。

一方で、この話は少し気力がいるなあ、と思うときもたまにある。

この感じ方の違いは、どうして起こるのだろうか考えてみた。

それは、事実と意見がペアになった話になっているかどうか、だろう。

 

事実のみ、意見のみの話は、言っていることがわかってもピンと来ない。

・「ぼくの周りの人は、原発の稼働を支持しているよ。」(事実のみ)

・「原発は停止させたままにしておくべきだよ。」(意見のみ)

 

事実と意見がペアになっている話は、「うんうん」と頷ける。

・「ぼくの周りの人は、原発の稼働を支持しているよ。彼らは信頼できる専門家だし、ぼくも賛成だ。」

・「原発は停止させたままにしておくべきだよ。だって、地震対策のための十分な設備増強が行われていないじゃないか。」

 

客観と主観に偏りがあるとついていけなくなる

事実のみの話をする人や、主張のみの話をしやすい傾向がある人はいる。

ぼくは、そうした話を聞いているとついていけなくなってしまうことがある。

「この人は、こんなに熱く一つのテーマに対して語るけれど、何が言いたいんだろう?」

「この人が言いたいことの気持ちはわかるけれど、印象でしかなくて、実体験や情報がないから納得できないなあ。」

 

事実と意見が一緒になった話が面白い。

こんなことがあった、こう感じた、こう言っている人がいた、こう考えた、こんなことをやった、自分の考えはこうなった……

そういう、事実と意見とがセットになって繰り返される話を、ぼくはいつまでも聴き続けてしまう。