失敗したことを、つい人に話したくなってしまうことはないだろうか。
逆に、後悔していることを話したいのに、話せないという経験をしたことはあるだろうか。
つらいことは、声に出したり、文章にして説明すると、楽になる。
6年間抱えていた悩みを解決したきっかけは、言葉だった
ぼくは、大学に入ってから、昔両親が離婚したことを自分はどうすることができなかったのか、ということに悩んでいることに気づいた。
そのことについて話すことのできる友人に打ち明けたり、文章を書いて考えることで、そのつらさはだんだんと解消されていき、今できることができるようになっていった。
なぜ、言葉にすることで気持ちが和らぐのか、本当のところはわからない。
自分だけのつらさではなくなる、からだろうか。
個人的な悩みは、外へと打ち明けることで、自分だけの悩みではなくなる。
こんがらがった問題が解きほぐされてゆく
声に出して伝えたり、文章にすることや、悩むことに、何の意味があるのか、と思うことはある。
元々の問題の、何の解決にならないではないか、と。
だが、そもそも問題とは、客観的にあるものではなく、自分自身がそれを問題として捉えている、大事にしているということにすぎなかったりする。
当たり前だと思っている気持ちに気づくこと。
そこから、問題は解きほぐされてゆくのだろう。
頼れるものがなければ、言葉に頼ろう
もし、あなたが何かに悩んでいたら、言葉にしてみるという手段を試してみて欲しい。
不適切な人に伝わらない限り、外に放出するのは良いことだ。
何かつらいことが、自分に原因があると思っている時、それは人に伝えづらい。
恥ずかしいし、自分の責任を追求されるんじゃないかという恐怖があるから。
言葉にすることに慣れていないならば、それができるような環境を見つけて動いてみよう。
「友達をつくろう」とか、言葉にする勇気を持とう、とは言わない。
それはぼくにとって厳しい言葉だった。
ぼくが今こうして文章を書いているのは、話のあう人が多い大学に入ったからだし、一人暮らしという環境があったからだし、Twitter という手段があったからなのだ。
どうすることもできないつらさは、ない。
日記でも、Twitterでも、ブログでも、メモ帳でも、人と話すことでも、どんな方法でもいい。
言葉にできれば、それは柔らいでいくのだ。