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時代の流れがぶつかる場所に居たい

今朝、電車で移動していて気づいたこと。

時速数十キロで動く電車が、自分の体の近く数十センチのところを走っていても、ぼくは驚かない。ぼくに限らず、周囲の人もそうである。

これはおどろくべきことだ。

当たったら大怪我をするようなものを警戒しないで居られる。

人は環境に馴染む。恐ろしいまでの適応だ。

 

目に見えない流れに揺られて

時間と共に馴染んでゆく対象のことを、流れと呼んでみる。

駅のプラットフォームには、動く電車を無視できる流れがある。

流れについて普段意識することはない。

 

数々の流れに支えられて、ぼくの暮らしはできている。

リトルフォレストという映画を見て、ぼくは今の自分に流れている流れを考えたくなった。

ぼくはどんな流れに乗っているか。

人のために料理を作らなくてもいいし、できあがった料理を買うことができる。

作物や家畜を育てることなく、一年中同じような作物を買うことができる。

命の選別を直接せずに済んでいる。キャベツを育てている人にとって、モンシロチョウは害虫になる。

季節が変わってゆくことに気づかないほどに、植物を意識しない。季節の変化や、天候の変化を気にせずに暮らす。

時計のある生活。9:30まで女性専用車両だった車両は、9:34には普通の車両になる。

アパートに暮らしている。隣の家とは近くて、話をすることはあまりない。

大学に行くことや、一人暮らしをすることについて、家族に助けられている。

数々の流れに支えられて、ぼくの暮らしはできている。

 

流れに対する身の置き方は、人それぞれ

世界には、たくさんの流れがある。

地域には地域の、共同体には共同体の、人が生み出す流れがある。

特定の流れを強める人もいる。

流れを混ぜて一緒にする人もいる。

流れを生み出す人もいる。
世界にどんな流れがあるのか調べて、伝える人もいる。

流れなど気にせず、生きている人もいる。

 

流れと流れの間に居たい

ぼくは、流れがぶつかる場所に居たい。

そこで、人が流れを選び取っていく瞬間が見たい。

自分のもっている流れや、周囲の環境にある流れは、すぐに見えるものではない。

だから、見せかけの部分でぶつかることがあるし、しあわせだと思えない流れに乗り続けてしまうことがある。

それでも、人は、好きだと思う流れを見いだせると信じている。自らの流れを選ぶ心をもっていると信じている。

ぼくは、ぶつかっている流れを受け止めて、好きな流れに乗って生きている人を増やしたい。

今乗っている流れにしっくりとこない人の話を聞いてともに考えることで、楽しく生きていく手伝いができたら、ぼくは楽しい。