「一仕事終えたその瞬間よりも、仕事をしているその時間のほうが長い。過程を楽しめたほうがよいのでは。」という話を聞いた。
この話は、本当にその通りだと思う。
最近いくつかの場所で目にした話なので、焼き直しになってしまうかもしれないけど、自分の言葉にしてみよう。
名目だけの目標に甘える
大学の学部の一時期、手堅く楽な仕事につきたいと考えて、地方公務員のための試験勉強をしてみたことがあった。
その時期は、サークルを引退して時間ができて、これから先に何をしようかもわからない時期だった。
なので、試験を通るという目標を決めれば、やることができると思っていたのだ。
勉強を続ける中で、そもそも、どんな仕事をすることになるのか、ろくに知らないことに気づく。公式のホームページから見える仕事の情報に、目標とする仕事なのかどうかが危うくなった。モチベーションがしぼんでいった。
ここまでの考えはよかった。
問題なのは、目標が合っていないと気づいたときに目標を変更せず、その後もだらだらと勉強を続けてしまったことだ。
「試験を通る」という名目だけの目標に任せて、考えなおすことを怠ってしまっていた。
一年後の世界がどうなっているかなんて誰もわからない
もし、年単位の大きな目標を固定してしまったら、半年経って何か違うと気づいた時に、方向転換できなくなってしまう。
そもそも、一人の人間に、一年後の予測はできないのだ。
何十年の記録と科学的予測にもとづいた天気予報でさえ、一週間先の天気が当たるとは限らない。ましてや、一人の人間にはわからない。わかった気になることがあるだけだ。
だったら、先のことを考えて何をするか思い悩むより、今面白いと思うことをやっていけばいい。
選ばずに試すことで、昨日と違う自分が見つかる
「それでも、何か目標を作らなければ、何もする気が起こらないよ。いま面白いことをやろうとしていたら、ずっとゲームをしていてしまうよ。」少し前の自分なら、そう言っただろう。
今の自分はこう返す。
「ゲームをすることが真剣に面白いならばそれでいい。でも、それだけじゃない、何か面白いものがあるんじゃないかと思うことがあれば、試してみればいいんじゃないかな。新しいこと、誰もしたようなことのないことをするのは好きだろう?」と。
遠くの明かりを目指して苦しい道中を歩くのではなく、今のここを生きるために役立つ考え方。
それは、やったことのないことがあったら試してみることだ。実験することだ。
頭を使って最も賢い道を歩もうとしたら、先に進んでも先に進んでも、面白いと思えることには出会えない。
実験をすることで、昨日までの自分とは違う、今の自分に気づくことができる。
試行の結果が積み重なっていけば、細かく路線変更をしていくことができるだろう。
小さなことでいい。想像しないで、体験してみよう。