これから考えたいのは時間の話であって、時計の話ではありません。
人と待ち合わせをしたり、学校や職場に通うのに、時間という概念を知らない人はいないでしょう。
昔の人はあくせくすることなく働いていたと聞くことがありますが、それはどうしてなのでしょうか。時間という発明は、どうして社会に普及しているのでしょうか?
そんな興味から、「生活時間の社会学」という本を読んでいます。まだ読んでいる途中ですが、面白いので少し書いてみたいと思います。
時間を大切にすることと成功を結びつけることに気づいた人 フランクリン
本の中では、ベンジャミン・フランクリンという人が紹介されています。貧しい植字職工だった彼は、勤勉と節約によって成功に至り、そのことを本にして出版することで、その当時の人々の多くに感銘を与えたそうです。今ではアメリカの100ドル紙幣にも肖像が書かれています。
彼は、どんなことを唱えたのでしょうか?
フランクリンは、「富に至る道」という小論の中で、多くの国民の知恵と教訓を集めている。その教訓の大部分は、勤勉と節約とが富をうる手段であり、さらには徳を完全に身につける手段でもあることを説いたものである。この教訓の中で「時間」は中心的な位置を占めており、時間の浪費を戒める言葉がたびたび登場する。
「人生を大切に思うといわれるのか。それならば、時間をむだ使いなさらぬがよろしい。時間こそ、人生を形作る材料なのだから」。
「そういえば、わたしたちは、何と多くの時間を必要以上に睡眠に使っていることでしょう」。
「暇とは、何か有用なことに使う時間を指していますが、そういう意味での暇は、勤勉によってはじめて得られるのでして、怠け者には決して得られるものではありません」。
時間を大切にすれば、人生を大切にできる。
今の社会に生きる人にとっては、当たり前に受け入れているような考え方です。小中学校の先生が言っていそうだし、ビジネス書にも基本として書いてありそうですね。
人生を豊かにするためには、時間を意識することだ
時間というものを生活に結びつける。もし、自分が時間というものがない時代に生まれたら、時間というものを意識して生きることはなかったでしょう。
暮らしの中で取る行動を改善するためには、時間を使えばいいのだという発想は驚きです。本の著者である矢野さんは次のように指摘しています。
第2は、時間を生活倫理の実践に結び付けている「技術的」発想である。フランクリンは、時間が日常の生活場面を具体的に秩序づけるための、技術的方法であることを指し示した。倫理を言葉として表現するのではなく、日々の生活の中で習慣化させなければならない。フランクリンの考案した24時間の時間表や年間の暦は、倫理を定着させるための社会的「発明品」だといってよい。フランクリンの言葉でいえば「時間こそ、人生を形作る材料」なのである。
今ではすっかり、スケジュール帳をもってタスクを管理したり、家にカレンダーがあるのは当たり前の習慣になっていますが、それはフランクリンによってもたらされた発明品なのかもしれません。
「頑張れば頑張るだけ仕事ができる!」と言った精神論ではなく、実際に勤勉に働くための道具として時間という概念を発明し、それを時間表など使いやすい形で普及させたのは面白いことです。
「時間という概念がいかに革新的かはわかった。でもでも、そうした時間の概念があるからこそ、慌ただしく生きることになっちゃうんじゃないの?」とも思いませんか?僕は思うので、もう少し本を読み進めたいと思います。ではまた。
東京大学出版会
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