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土地が経済活動を目的に利用されるようになった理由

昔々、人々は農耕によって自分たちの生活の糧を得て生活していました。

そして、その土地で取れるものをやりとりすることによって生きていました。

ところが、現在では商売活動が先にあり、そのために効率のよい土地を開発したりすることがあります。いわゆるプランテーション、コーヒーやゴム、タバコなどがそうです。

どのようにして、商品の交易活動が土地の利用を主導するようになったのでしょうか?

引き続き、伊藤喜栄「教養としての地理学」という本を読んで考えていきます。

 

 

問屋制生産の成立

各国家の拡大、交通網の整備に伴い、広い範囲でものが取引されるようになってきました。

そうした中で、問屋制制度と呼ばれる仕組みが発達したそうです。

 

一般的には広域・遠隔地市場における商品価格や商品規格についての情報は商人によって独占されているために、地域は商人の下請けとして一方的に従属する形で生産するようになる。このような商人主導の商品生産のシステムは、一般に問屋制制度と呼ばれる。

 

数多くの土地を歩き商売をしていたら、安く仕入れて高く売るという原則が自らに利益をもたらすことには気づくでしょう。仕事に時間を取られている地域の人は、自分で商売をするよりも、商人とのやりとりによって生活費を得ていく方が生きるのが楽なのでしょう。

 

問屋制生産の具体例としては、17世紀から18世紀における、甲州の御勅使川扇状地の変化が紹介されていました。

 

ここで問題としている御勅使川扇状地の開発は、実はこのような時代的背景の中で煙草の特産地として開発されたものであり、そのような産地形成の推進力は煙草問屋の編成する問屋制生産であった(図II-6)。

 

米をまったく栽培しない煙草の特産地として土地が開発され、村ができていった。江戸で売るための煙草が甲府で作られるようになった。まさに、こうした経済活動は現代社会とほぼ変わりませんね。群馬県産のキャベツを東京で買ったりしますもの。

 

 

商人によって土地が利用される

こうして、土地の利用の仕方は、地域住人が直接生活の糧を得ることから、商人が利潤を上げることが優先されるようになりました。

 

以上の例からも明らかな通り、商業化時代・重商主義の時代を迎え、商人たちはかつての伝統社会の次代における「自給自足の地域」の余剰物を交易品とする、従属的な地位を脱して、「地域」を自らの広域・遠隔地交易に必要な商品生産のための道具として、下請的に編成利用する方法を獲得した。

集落を取り巻く環境としての自然は、かつてのような地域住民のための生活原理によって利用されるのではなく、もっぱら商人のための利潤原理によって利用されるようになる。そしてその延長上には、地域住民そのものまでが、商人に利益をもたらすための労働力として活用され、組織化されることになる。商品生産と伝統的生産様式の結合とは、まさにこのような状況を指すのである。

 

会社という仕組みがあって、そこで組織的に仕事が与えられるという、産業革命以降の働き方にかなり近いものを感じます。

もし自分が地域住民の立場だとすると、少し不思議な気分でしょうね。自分が食べるためのものを作るよりも、売れるものを作って商人に売る方が稼げるとしたら。きっと、その楽な方を選んでしまうとは思いますが、言い表せない違和感を覚えます。

現在の都市などはそうですが、経済活動のために使われている土地は広がっています。人は何のために土地を使うのか、考えるきっかけになったでしょうか。

ではまた。

 

教養としての地歴学―歴史のなかの地域
伊藤 喜栄
日本評論社
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