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「労働=賃金の対価」? 江戸商人の思想を読む

「仕事は、お金を得る代わりに嫌々ながらするものだ」という考えは、あまり健全とは思えない。

人生の長い時間を占める活動を、そのような位置づけに置いてしまってはもったいないと思う。

じゃあ、一体、何のためにはたらくのだろう?

江戸時代の人は勤勉には働いていたと聞くけれど、どうしてそんなことができたのだろう?

江戸時代の日本の商人文化を描く、平田雅彦「江戸商人の思想」を引用しながら、考えてみます。

 

 

働くということは、自分の人生を豊かにする修行だった。

武士でも農民でもない町人は、働く以外に生きていくすべのなかった江戸時代。商人階級には、どんな身分の者も一度丁稚に採用されれば、実力次第で支配人になれるような仕組みがあった。

商家では、12歳ころから「丁稚」として働き始め、その後、「手代」、「番頭」、「支配人」あるいは「別家」とキャリアを進めていったそうです。

 

では、丁稚として採用されるために、商人として大切なことは何だったか。それは、勤勉であるという心構えでした。

 

「上は天子より下は万民に至るまで、その身、これ、つとめ第一のことに候」

三井家「家内式法帳」

 

「人生は勤勉こそが大切である。勤勉でありさえすれば、貧しくて困るということはない。勤めることが利益を生み出す基本である。勤勉に励んだ結果得たものこそ、本当の利益である」

近江商人 二代目中居源左衛門

 

商売の基本は、勤勉であることだ。特定の時間職場に居たからといって、それは商売になるわけではないし、ずるをしても儲けることはできないということを訴えています。こうした仕事に対する考え方は、現代にもほんの少し伝わってきているような気がします。

 

仕事の見返りにはならないかもしれない勤勉さは、どうして大切にされていたのでしょうか。武士として業績を残した後に出家した鈴木正三という人は次のように語ります。

 

「自分の職業に励むことが仏道修行であり、仕事に精励すれば成仏できる。各自の仕事はすべて世界のためのものである。」

鈴木正三

 

日々の仕事を専念することで、本心に帰って、成仏することができる。働くとは、ただ生きるための行為ではなく、修行であるという側面があったからこそ、厳しい躾にも耐えた人が多かったのでしょうね。

 

 

一緒に働くということは、家族になるようなものだった。

契約関係の外側にあるもののひとつが、家族的なつながりです。

なんと、商家で正式に社員になるときには、親に与えられた名前を変えて新しい名前を得ることになったそうです。

 

欧米企業では、企業と使用人との関係は、雇用契約によって結ばれる。労働は支払う賃金の対価としてとらえられる。

しかし日本の商家では、手代として正式社員となるとき、元服式をあげ、名前まで親のつけた名前を変えてその家の名前に変えさせられた。このことは、社員になるのを契機として、その商家の家族に加わったのである。あるいは弟子入りするために入門を許されたのである。

 

もはや、社員になることと、家族に加わることの境目がなかった。名前を変えるということは、今の時代だったらパワハラだと言われてしまいそうですね。そうするだけの、責任感が求められることでしょう。

 

ここで大切なことは、丁稚に入る時、雇う側、雇われる側双方の思いは、「一人前の人間に育てる」ということにあった。「人間として社会に通用する人にまで育てる」。それは引き受けた商家側の親に対する責任だったのである。

 

ただ単に、給料分の労働のできる人を育て上げるのではなく、人として社会に通用する人に育てる。そのことに、雇う人も雇われる人もきちんと向かいあう。そこまでのことは、共に働く人のことを家族だと思うくらいではなくては、できませんよね。

 

 

商家ではたらくことは人生を豊かにする修行であり、そこでの人間関係は、一人前の人間になるまで育て家族として向かいあうようなものだった。朝も早く、労働時間も長く、食べ物もそれほど豊かではなかった。

それでも、江戸時代のはたらきかたには、大切にしたい考え方が含まれているような気がします。精神の豊かさを求める続ける勤勉さと、人一人の人生にまで向き合うような責任感は、見習ってゆきたいと思います。

それではまた。

 

 

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