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リアル文脈ゼミ「科学技術社会論夏の学校2016に参加して思うこと」

どうも、木村(@kimu3_slime)です。

今回は、リアル文脈ゼミと称して、文脈ゼミのようすを動画で撮ってみました! みくさん(左)、青山さん(真ん中)、木村(右)です。

動画の下部で、科学技術社会論とは何か、そこで考えたことなどを文章にしていきます。

カメラの位置が悪いし、画面がちょっと暗いというラフさ……(笑)

 

科学技術社会論 夏の学校とは

スクリーンショット 2016-07-31 午後4.32.32

画像引用:科学技術社会論 夏の学校 2016

僕が参加した「科学技術社会論 夏の学校 2016」は、つくばで行われた2泊3日のイベント。テーマは「科学を表現する 科学で表現する」。理系の大学院生から科学雑誌の編集者まで、計40人以上の参加者がいました。イベントの概要を引用します。

 科学技術社会論(STS = Science, Technology and SocietyまたはScience and Technology Studies)とは、科学・技術と社会との関係について、人文学・社会科学・自然科学などの手法を用いて考察していく学際的領域です。ある特定の科学や技術が社会や人々の生活にどのような影響を与えうるのか、科学の専門家と市民との関係はどうあるべきなのか、科学者の生み出す専門知が成立する背景にはどのような社会的影響が存在するのか、など、多様な問いを内包する学術領域です。

 

開催趣旨
科学を表現する、科学で表現する――科学技術社会論夏の学校2016では、参加者の皆さまとともに、この二つのテーマについて考察したいと考えております。
科学と社会の接点には、多様な表現の方法が存在します。研究の成果について報じるマスメディアや商業誌は、科学「を」表現していると言えるでしょう。一方でサイエンスアートやSFは、作者の感情や思想を、ときに科学「で」表現します。これらはそれぞれどのような特徴をもち、どのように重なり合うのでしょうか。
様々な分野の皆さまとの理系・文系・芸術系の枠を越えた議論を通し、新しい発見や長く続く繋がりが生まれることを楽しみにしております。

引用:概要 – 科学技術社会論夏の学校2016

講演会では、現代アーティストのスプツニ子!さん、「すイエんサー」などの番組を手がけるNHKの村松秀さん、生物系の科学コミュニケーションを専門として研究している成城大学の標葉隆馬さんがいらっしゃいました。詳しくは:公演詳細 – 科学技術社会論夏の学校2016

主催は、宮本道人さんを委員長とする「科学技術社会論夏の学校2016実行委員会」で、共催は「STS Network Japan」です。協賛として、「株式会社リバネス」が入っています。

 

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何で科学コミュニケーションをするのか?

ということで、思ったことをバラバラと書いてみます。

村松さんは、「科学を表現する」というテーマに注目し、「科学は表現しなければならないものなのか? 批判するわけではなく、そういう部分から疑いたい」とお話ししていました。科学をよく知らない人はたくさんいると思いますが、知られなければならない、必要性のあるものなのでしょうか? 誰が、科学を知ることを求めているのでしょうか?

僕は、上の動画の中でみくさんが言っていたスタンスに共感しています。

みく:自分が面白いと思っているものを、相手も面白いと思ってもらえたら嬉しい

引用:文脈ゼミ 科学技術社会論2016夏の学校にて(1/2)

本来、これでしかないと思うのです。楽しいからやっているだけ。そのことを見失ってしまうのは、科学コミュニケーションが社会問題を扱っていることがあるからでしょう。

社会問題は、議論を呼ぶ、コントロバーシャルなものです。人々を巻き込む大きな問題だからこそ、解決するのが困難で、もし解決するなら人の協力が必要となります。解決するだけの意義もあるでしょう。そうなると、「この社会問題は解決しなければならない」「解決するだけの必要性があるのに、どうしてみんな関心を持たないのか」というピリピリした態度が生まれやすいのです。

また、公共的に解決する意義のあることならば、国が率先して解決しようとします。例えば、貧困の問題や、環境問題、原発への対処などはそうでしょう。そして、解決のためには大きな予算が与えられ、広報活動が生まれます。お金によって生まれた広報活動は、「楽しいからやる」という面が見つけにくく、「意義を広めるためにやる(それによってお金が与えられるからやる)」となりやすい。問題の意義が十分に認められたことになってしまうと、なぜやっているのか意義を見失ってしまう。そういう仕組みがあるんですね。

何が楽しくやっているのか、何のためにやっているのか、自らのスタンスを自覚していれば、科学コミュニケーションを巡って協力しやすくなっていくでしょう。

 

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プロセスとしての科学の楽しさ

話は変わって、科学コミュニケーション以前に、科学とは何かについての話もありました。

村松さんは、「山中教授がiPS細胞を発見した」というニュースは科学なのか? と疑問を提示しています。科学とは、事実や知識の集積なのでしょうか。また、「(アートは)科学で表現する」という時に使われる科学は、技術であって科学ではないのではないかとも指摘しています。

これはまさにその通りだと思いました。科学は、たどり着いた真実の集まりであるか、ものを作るためのツールだと一般に思われがちです。実際、日本の中学・高校の理科教育では、すでに知られている知識を教えられ、それが理科だと思わされます。例え実験であっても、試行錯誤する機会は少なく、すでに知られた正解に向かって作業をこなすことになりやすいです。

そこに抜けているのは、プロセスとしての科学です。たどり着いた結果はもちろん大事ですが、そこに至るまでの道のりが同じくらい大事なのです。疑い続けること。わからないことに耐えること。結果が出ない中でもがき続けること。「女子高生アイドルは、なぜ東大生に知力で勝てたのか?」では、グルグル思考と表現されていますね。

プロセスを大切にする考え方は、何も科学に限らず、アート、生き方においても役に立つと思いました。スティーブ・ジョブズは、ガンを宣告された後にスピーチで次のような言葉を残しています。

「もし今日が自分の人生最後の日だしたら今日やる予定のことは私は本当にやりたいことだろうか?」それに対する答えが「ノー」の日が何日も続くと私は「何かを変える必要がある」と自覚するわけです。

引用:スティーブ・ジョブズの感動スピーチ(翻訳)字幕動画 – 我ら、地域の仕掛け人!

 

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人生この先どうなるかなんて、完璧にわかるはずがありません。それをわかったつもりになって安心せず、もがき続ける、あがき続ける、その一瞬を楽しみたいものです。

参考:ゼミの準備って何をすればいいの? 文脈ゼミの手引きその3

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木村すらいむ(@kimu3_slime)でした。ではでは。