どうも、木村(@kimu3_slime)です。
最近、文章や話の構成のヒントになるだろうと考えて、アリストテレス「弁論術」を読みました。
定義を細かく議論しているので全文詳しく読んだわけではないのですが、「弁論術とは何か」という話が面白かったので書いて考えてみます。
ギリシャの哲学者アリストテレスは、「論理学の父」とも言われています。
参考:なぜ西洋において論理が重視され、日本ではそうではないのか? 近代合理主義と仏教の違い
弁論術とは何か?
弁論術とはなんでしょう。
現代において、弁論・スピーチの技術は会社におけるプレゼンの技術と思われるでしょう。当時とは重要さが違います。紙や文章で表現をすることのなかった当時は、弁論が大きな力を持っていた。人前でちゃんと話せる人は、政治力のある人だと思われていたんですね。
アリストテレスは、当時の「話す技術、弁論の技術は慣れによって習得される」という考え方に疑問を抱いていました。師匠であるプラトンも、対話法・弁証法(dialectic)を重視していて、弁論術にはそれほど注意を払っていなかったんですね。(参考:弁証法 – Wikipedia)
アリストテレスは、弁証術を「どんな場合でもそのそれぞれについて可能な説得の方法を見つけ出す能力」と定義しています。
慣れによって身につけられるとされていた説得術に、根拠を与えて技術としてまとめあげたのが「弁論術」です。
ちなみに、技術という言葉は、現代では表面的な技巧を指していると思われがちですが、当時はそうではありません。テクニックの語源はテクネであり、原理を理解した上で何かをする能力のことです。(参考:テクニック – 語源由来辞典)
良い内容でも、悪い内容でも、説得をすることができる
「どんな場合でもそのそれぞれについて可能な説得の方法を見つけ出す能力」が説得術であるという定義の、どんな場合でもというのは重要です。
弁論術は、説得のための技術であり、結論に至る過程の話なのです。どんな内容を説得するかは問題ではありません。
この話を読んでから、僕の好きなポケモン実況者ライバロリさんの動画の一言が印象に残りました。3分50秒あたりから。
[nicodo]sm29408692[/nicodo]コメント見るとさ、disコメントあって傷ついたんですけど。繊細なコメントの持ち主なんでね、disコメントを見るとハートが傷ついてしまうんですよ。本当に不快な気持ちにさせてしまった方は申し訳ございませんでした。きっちりかっちり謝罪します。謝罪はしていくんでね。謝れるやつは大きくなるから。
ちなみに僕は現実世界では全く謝らないんですけど。自分が悪いことをした際にまず一番最初に考えるのは言い訳(笑)。言い訳じゃない、言い訳の前にまず他人のせいにする方法を考えるわ。「あの人がこうしろって言ったんですよ」みたいな、一番最初に他人のせいにする方法を考えます。それが無理だと悟った瞬間に言い訳。環境のせいにする。一番最初にやること他人のせい、その次に環境のせい、三番目にしてこのまま逃げるか、きちんと謝罪するかを選択。そこにして初めて謝るという選択肢が出てきます。
ライバロリさんのこの発言は、一般的には性格が悪いと言われるでしょう。
でも、僕はこれが「自分の有利になるように相手を説得しようとはしている」と思ったんですね。ただすぐに謝ったのでは相手を説得できないかもしれないから、もっと良い結果を得ようと頭を使っているのです。
この頭の使い方は、ポケモンという戦略ゲームでトップレベルの結果を残すライバロリさんらしいなと思います。悪い内容であっても、説得の技術は宿ることがわかります。
論理学より実践的な弁論術
弁論術の本質は、内容の問題ではない。この点では、弁論術は弁証術に似ています。弁証術というのは、三段論法など厳密な推論を行う技術で、現在でいう論理学の範疇です。
弁論術と弁証術の違いは何か。この話も面白かった。
弁証術は、結論を論理的な手順を用いていることがポイントです。これに対し、弁論術はもっともらしいこと(蓋然性の高いこと)を使って説得します。
弁論術では、必然的な厳密さを失う代わりに、議論の余地のないもの以外のことをスムーズに扱えるのです。弁証術では、「何が議論の余地がないものか」という前提を設定して議論していきますが、これは時間のかかることです。
僕を含む論理学の好きな理系の人は、「論理的にさえ話していれば説得できる」と考えることがありますが、そんなことはないということを弁論術は教えてくれます。
弁論術と弁証術の違いは、プラトン「ゴルギアス」で先に語られているようですね。こちらも後で読んでみます。
より現代風の弁論術の本としては、カーネギー「話し方入門」が古典として有名ですね。「弁論術」よりは読みやすく実践的です。今読んでいます。
弁証術のような厳密な推論以外にも、推論を用いているという話として、昔読んだ「発見的推論(plausible inference)」の本も面白かったです。
数学における発見はいかになされるか〈第2〉発見的推論-そのパターン (1959年)
丸善
売り上げランキング: 415,112
数学における発見はいかになされるか〈第1〉帰納と類比 (1959年)
丸善
売り上げランキング: 189,425
木村すらいむ(@kimu3_slime)でした。ではでは。