どうも、木村(@kimu3_slime)です。
僕はインターネットを使った読書会「文脈ゼミ」、そのコミュニティである「文脈ゆるゼミ」を運営しています。そしてゆくゆくは、大学に通わずとも大学レベルの学びを得られる場所として「個人大学」を作りたいと考えている。それはなぜなのか、はっきりさせてこなかったので考えてみました。
大学以外に、大学レベルのことを学ぶ環境の選択肢を
まず、僕には学びたいことがたくさんあるんですよね。もうそれこそ無限に。
一つのことを極めると、必ず広い視点につながっていきます。大学では数学を学びましたが、もっと他の分野も学びたい。哲学や社会学を学びたいし、心理学や経済学も学びたい。古典の本を読み続けたい。
じゃあ、例えば哲学が学べる学部に入ればいいじゃないかという提案があります。
しかし、それには4年の時間と学費を再びかけることになる。聴講生・科目等履修生ならまだ負担は軽いでしょうが。それに、学びたい分野が増えれば増えるほど、時間はかかります。
大学に入り直すというのは、一つの手ではあると思います。しかし、それが効率が良い手段かというと、そうでもないのではないかと思うのです。人生は有限で、時間はすぐになくなってしまう。
僕が大学に求めているものを整理すると、ゼミ・図書館・人間関係であって、それは大学でなくてもできるのではないかと。
大学に入り直すという選択肢ではないが、気軽に大学レベルの内容を学び続けられる環境の選択肢を作りたい。
ともに学ぶことで、限られた時間で効率的に学べる
僕はその選択肢の具体的な形として、学びに関心がある人のコミュニティは有効だと思うのです。
とかく学ぶことには時間がかかります。
本1冊を読むのに1日かかるのは普通のこと。仕事や家事、趣味や友達との限られた時間の中で、学ぶための時間を捻出するのは容易なことではありません。
あることの専門家になるために時間をかければ、別のことの専門家になるための時間は失われます。非凡な人でない限り、いくつもの分野で突出した学びを得ることは難しいでしょう。
僕はいくつもの分野を高速で理解できるほど頭が良くない。
だけど、他の何かしらの分野を極めた友人がいれば、その分野について教えてもらうことができる。逆に僕は、数学のことならばある程度お返しに情報提供できる。
何もかもを学びたい気持ちはあっても、それは一人で学ぶことはできない。そんな時は、コミュニティを使って学びの分業をすれば効率が良いのではないでしょうか(それこそがゼミです)。
大学で学ぶようなことでなく、もっと広いことでもそうですよね。映画・アニメ・漫画などこの世の中にはたくさんのコンテンツがあって、その全てを消費することはできない。でも、映画を見た人にその感想を聞けば、その映画について時間をかけずに少し知ることができるし、アニメオタクの友人に聞けば、素人が一から学ぶよりずっと手っ取り早くアニメに詳しくなれる。
「自分はこの人生をXXの専門家・オタクになることに賭ける」と限定しなくてもいいんじゃないかと思うんです。自分の好きになれることにフォーカスして時間をかけて、その上でたまに異分野の友人と情報を提供し合う。こうすれば、世界のいろんな物事を効率よく学ぶことができます。
多様な学びは、多様な人から生まれる
僕は大学を作りたいと考えていますが、そのプロトタイプは大仰なものではありません。
もし文脈ゆるゼミが、多様な専門家がいて話をしてくれる場所になっているなら、もはやそこは大学的なものではないかと。
例えば、僕が言語学のことを知りたいと思ったとしましょう。もしその時に言語学の専門家の方がいたら、どういうステップでどの入門書を読むのがオススメとか教えてもらえるかもしれませんし、あるいは一緒に本を読むこともできるかもしれない。
言語学だけでなく、あらゆる分野、あらゆるコンテンツ、あらゆる人種、あらゆる思想、あらゆる生き方が集まったら、とっても楽しい場所になると思いませんか? 僕は思います。
人生は一度きりだけれど、一人分の学び、一人分のコンテンツ、一人分の人生を生きるだけじゃ満足できない。そんな方は、ぜひ文脈ゆるゼミに参加してみてください!
木村すらいむ(@kimu3_slime)でした。ではでは。