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多摩美「個人出版文化史」に行ってきた

どうも、すらいむ @oily_slime です。

自主出版物は、どのように呼ばれ、何のためにつくられてきたものなのでしょうか?

今回はそれを振り返り、何のために個人ブログを書くかについて考えなおしてみようと思います。

 

「個人出版文化史」に行ってきた

この前、多摩美術大学「現実ゼミ」のゲスト講義第二回 「個人出版文化史」を聴講してきました。Twitter で告知を見かけて、面白そうだったので行ってみることに。印刷博物館に行った後だったこともあり。

“マスコミ、商業誌の真似をしなくても、好きに作っていいんだよ”。それが学生に向けた一つのメッセージだと思いました。

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講師の方がもってきてくださった自主出版の本。

 

さて、そこで得た自主出版のイメージをまとめてみます。

 

作り手の意識によって自主出版物は呼び分けられる

個人が作る雑誌の位置づけを考えてみます。まず、商業誌やマスコミがある。それに対して、個人が作る雑誌の呼ばれ方がいろいろあり。

  • 自費出版 自費での出版。実質は、出版社による出版代行であることが多い。
  • 個人誌 個人によって作られた印刷物全般
  • 同人誌  好みが同じ人に向けた雑誌
  • ファンジン(ファンマガジン) 何かを愛好する人間によって作られた雑誌。SFファンジンなど。
  • ミニコミ(ミニコミュニケーション) マスコミの反対で、小規模かつ少人数向け。若者向けのニュース。
  • インディマガジン(インディペンデントマガジン)  自主制作、独立資本であることを全面に押し出したもの。
  • リトルプレス  印刷自体に興味をもってつくられた小部数のもの。
  • リトルマガジン 実験的、前衛的な内容。
  • ZINE(ジン)  ここ5年の最近ブームらしい。ファンジンやマガジンを省略した呼び方。個人が自分の意思で好きなように作り、読まれる本。

講義のスピーカーの一人、野中モモさん。彼女が運営するオンラインショップ Lilmag Store では、言葉の使い分けの難しさが言及されています。

実際のところ現実の世界では、何をもって「自主制作」「独立系」「インディペンデント」とするのかの定義は難しい。 儲けは度外視でひとり細々と経営している「出版社」がある一方で、つやつやした大企業の広告が載っている「インディーズ出版」もある。
そのあたりはどうしたって曖昧で、「(商業・非商業で区別しないで)本はもう全部本でいいのに」という思いもあるのですが、まあそれはそれ。

 

引用元:ZINE? – Lilmag Store

作り手のどんな意識を指しているかという文脈を読み取りましょう、ということですね。

ぼくはこれらの呼び方のうち、同人誌くらいしか知りませんでした。あなたはどうですか。

 

人々はなぜ自主的に出版物を作って公開してきたのか

これらの自主出版物のブームからは、伝統や権力への抵抗、そして身近で自由な創作という思想が読み取れます。

少数の読者を対象とし、好奇心や反発、自己満足のためにつくられた。

マガジンは、伝統文学から離れた自由な発想を望む小説家により手がけられ、SFの発祥となりました。大予算音楽への抵抗、ステレオタイプへの抵抗が見られる音楽ブーム、パンク。その後には、ファンジンやミュージックプレスという自主出版物がつくられています。

ZINEは、パソコンによって印刷物をつくれる、デスクトップパブリッシング(DTP)ができるようになった1990年頃に興こりました。現在でも使われ続けているDTPソフト、 photoshop や illustrator が開発されたのも、この頃。プリンタが企業に普及してきたのも同時期です。素人の個人でもプロと同じ印刷物をつくれる可能性をもつようになったが、まだネットが普及していなかった。そこで自主出版をしようとする人が出てきました。

92年生まれのぼくからすると、個人でも印刷物がつくれるようになったことの驚きをそれほど実感できていないのかもしれません。印刷博物館に行って、その鱗片は感じ取ることができましたが。

あなたの生活を振り返ってみたとき、個人の印刷物に対してはどんな思いがありますか。

 

好きなことを書くために、個人ブログを書いていく

”自主出版文化史”で紹介されたのはあくまで出版物であり、ネットの”出版物”は言及されませんした。ので、ここで考えてみようと思います。

 

ネットに文章を公開することは、印刷ではないかもしれませんが、本質は同じですね。リアルでやっていたことを、バーチャルにやっているだけ。キーボードで打ち込み、サーバー上で公開して見に来てもらう。

ニュースサイト、動画サイト、まとめサイト、ブログ、SNS、ホームページ…。そこには、一人でつくったコンテンツから、小規模な組織によって作られたもの、大企業がサポートしているものがあります。これらの呼び名も、時代によって呼び分けられ、流行り廃りしていくものでしょう。

ぼくはやはり、自主出版的なネット作品が好きです。「あなたに向けてブログを書きたい。」では、ぼくの好きなブログを紹介しました。作った人の姿を身近に感じられるコンテンツが好きです。

大きな組織に従属しなければ自分の考えを声にできない時代は終わったのです。

ネットでものを書けば、一つの共同体にとらわれず、自分の意見や”好き”という気持ちを伝えていくことができます。

 

ブログを通してコミュニケーションを取るためには、メディアがコミュニティを形成することを意識する必要があるでしょう。

それはもちろん、紙や電波ではコミュニケーションがとれなかったというのはある。あるいは、日本人全員を相手にしてたのだからコミュニティもへったくれもないだろう、とも言える。

 

だが本来、メディアとはコミュニティのために存在するはずなのだ。

引用元:メディアはコミュニティを形成する。この当たり前のことをメディアはどれだけ自覚しているか – BLOGOS

ネットで文章を公開するときには、そのページへのアクセス手段を意識しなければ意味がなくなります。誰にも読んでもらえないなら、公開していないのと同じです。かといって、読んでもらうために、検索サイトやSNS,特定のコミュニティからのアクセスに頼りすぎると、そこからは自主出版の精神が失われます。

つまり、自主出版としての個人ブログを継続していくには、特定のコミュニティに依存しない、個人をきっかけとしたコミュニティを興していく必要があるのです。イケダハヤトさん東浩紀さんphaさんのように。彼/彼女らは、ブログ以外でも、独自のコミュニティをつくる場を提供していますね。

 

ぼくはこのブログを、自主出版の精神を残したものにして続けていきたい。好きなことを書き続けていたい。そのために、つながりを生み出すきっかけとなる場所を提供する活動もしていきたい。言葉にするとちょっとおおげさですが、これから少しずつ考えていきたいと思います。

 

おわりに

いかがでしたか。今回の文章は「あなた」成分より「ぼく」成分が多かったですね。自主出版の精神が気に入ったら、ぜひネットで文章を公開してみてください。読みにいきます。

あなたの反応をお待ちしております。すらいむ @oily_slime でした。ではまた。