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衛生観念の違いでトラブルになったらどうする? 否定せず、共有しよう。

衛生観念って不思議だなあと思った話をします。

寒くなってきたので、シャワーだけでなく風呂にも入るようになりました。そして、湯船を見ると垢で汚れていることに気づいたのです。でも、ぼくは特に気にせずふつうに温まりました。安らぎますね。

でも、汚れた風呂を絶対に許せないと思う人もきっといて。なんで衛生観念ってこんなに人によって違うのだろうなと思ったわけです。

 

そもそも衛生とは?

辞書を引いてみます。

大辞林 第三版の解説

えいせい【衛生】

(身の回りを清潔にして)健康を保ち,病気にかからないようにすること。 「 -に気をつける」 「 -上よくない」 〔漢籍では「生命を守る」の意。明治期に英語 hygiene の訳語として現れ,1875年に内務省に衛生局が設けられる〕

古代から19世紀までは、悪い空気が病気をもたらすという瘴気説がありました。19世紀になって、小さな生物やウイルスが病気の伝染元となっているという細菌説が発見され、公衆衛生はより徹底したものとなりました。

公衆の衛生と、個人が感じる衛生感覚は必ずしも一致しませんよね。目の前のものを汚くて危なそうだと思うのは、誰かのルールに従って考えたからではない。周囲に影響されているかはともかく、少なくともそう思っているはずです。

 

衛生観念は習慣で学ぶものだから、変えにくい

風呂の例でぼくのことを思い出すと。中学のときに引っ越しをして、風呂が差し湯式から追い焚き式に変わりました。両者の違いは、温めたお湯にするのは新しい水だけか、そうでないかということ。追い焚き式は、循環式ともいい、湯船の湯を再利用して温めます。

ですので、追い焚き式では管に汚れが溜まって。新しく沸かしたお湯なのに、何か不純物が浮いていたりするのです。引っ越しした当初はかなりショックでしたが、何年か暮らすうちに別に健康に何の影響もないなあとわかりました。

ぼくの場合、生活習慣の変更によって、時間をかけて衛生観念が変化しました。この経験から、衛生観念は、生まれつき備わっている感覚ではなく、不潔なものが身の危険をもたらすことを習慣的に学ぶことによってつくられていくのだと思うようになりました。

衛生観念について、家族や男女間でもめて、仲違いして分かれてしまうというケースも多いようです。ネットで”衛生観念”と検索すると、かなり色々な方が衛生観念の違いをした人間関係のトラブルを相談しています。習慣を変えるのは難しいんですよね。言葉による説得では、習慣を変えることはできない。

 

トラブルになったらどうするか

じゃあ人と衛生観念についてトラブルになったらどうすればいいか。

まずイライラしている状態だと話ができません。とりあえず移動しましょう。落ち着いてから話をしましょう。

そしたら、もっている衛生観念をお互いに言葉にして共有できるようにしましょう。相手のもっているものを否定してはいけません。もっているものですから。ただ、そこに並べて、一緒に眺めましょう。何かエピソードを思い出したら、それを話してみるのも良いですね。

もっているものが共有できれば、一先ずそれで良いと思います。それがわかっていれば、超えてはいけないラインを超えないように約束することができるし、歩み寄りのために自分の衛生観念を変えようと思うことができるかもしれません。

 

例えば雪の日に、雪や泥まみれになっても、怒る親は少ないのではないかと思います。どんなときに衛生観念が生じているか、考えてみると面白いと思いますよ。

あなたの反応をお待ちしております。木村すらいむでした。ではまた。