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「大人になるべき?」そんなことはない。「立派な大人」モデルを疑おう

どうも、木村(@kimu3_slime)です。

働き始めた人と話しをしていると、「もう少し大人にならなければならないと思った」という言葉を聞くことがあります。

そんな時、「いやいや、その大人って何? 君がその大人になってしまったら、あまり面白くないと思うよ」と返すことが多いです。

こういう時の大人とは何でしょうか? 僕なりの考え方を書いていきます。

参考:「学生から社会人になる」その言い方はおかしくないですか?

 

 

「大人になる=集団に同調する」はサラリーマン的には正しい

さて、よく言われる「大人になる」ということが意味しているのは、「自分の意見や個性を消して、集団に同調すること」です。

これは極めてサラリーマン的な考え方だと思います。少なくとも、参考にすべき人や集団が明確でないところで生きる経営者とは違いますね。また、個性や意見がない方が事業が円滑に進む組織であることが想像されます。ベンチャー的ではありません。

高度経済成長期のように、今の事業を続けていれば良い状況、つまり大きな変化を起こさなければ会社が成長しているような環境では、「集団に同調すること」に価値があります

大人云々の話とは違いますが、発酵デザイナーの小倉ヒラクさんのエントリ「ドラッカーに見るポスト資本主義の困難と、資本あるけど使い方わからないよ!問題」はわかりやすいです。

明確なオーナーシップがない状態でも事業の拡大が図れるのは「社会に変化が少ない時期」に限られる。前述の展開でいえば、

「本年度の利益ですが、引き続き前年度をベースにした投資を、ということで理事会も全員一致となりまして…」

ということで、既に確立したモデルの維持と微調整で問題が出ないこともある。
(余談だけど、親父世代の高級サラリーマンと飲んでた時に「オレが若い時は、新しいことをやりたいやる気のあるヤツは、上司に高級料亭とかキャバレーとかに接待されて仕事への情熱をガス抜きする慣習があったよ」という話を聞きました。なるほど、事業が上手く行っている時は拡大再生産モデルが正解なのだね)

引用:ドラッカーに見るポスト資本主義の困難と、資本あるけど使い方わからないよ!問題 – hirakuogura.com

今の20代以下の若い人は、「どんな会社でも終身雇用は約束されていない」ということを自覚していると思います。

そんな中で、「大人になる=集団に同調する」提案をするのは酷なものです。集団に合わせることで、きちんと昇進して、雇用が保障されるのなら良いのですが……。

景気が不安定な環境や、世界の状況が変化している時代では、「周りに合わせる」大人モデルは通用しにくいと思います。

 

「立派な大人」モデルを疑う

「大人になる=集団に同調する」というモデルは、もっと昔なら、「大人になる=子供を育てる」、「大人になる=家を継ぐ」、「大人になる=結婚する」、「大人になる=畑仕事をする」だったかもしれません。

どんな人が大人として尊敬されるかは、時代や地域によって変わります。今までの話を踏まえれば、明らかなことですよね。

立派な大人の姿は、当たり前のように教えられることがあるかもしれませんが、決して当たり前のことではありません

むしろ、教えようとする人が思いやりを持って伝える知識は、局所的にしか通用しない、極めてローカルな知識である可能性が高いです。

参考:科学コミュニケーション論における欠如モデル、文脈モデルとは?

だから、「他の人が言っている大人」になろうとしなくて良いのです。先ほどのサラリーマン的大人のエピソードでそうでしたが、時代が変化した時に、他人は自分の人生の責任を取ってくれません。自分がなりたいと思う大人になら、なろうとしても良いと思いますが、「ならなきゃいけない」と思うなら合っていません。

参考:アドラー哲学の入門書「嫌われる勇気」を読んで、好きなことができるようになった

僕は、自らあるべき大人の姿を考え、その姿が周囲と違っていても、勇気を持って歩いていける人を応援していきたいと思います。

結果として自ら考えた尊敬する大人に向かっているのなら、どんな大人のモデルでも素敵だと思いませんか?

木村すらいむ(@kimu3_slime)でした。ではでは。