どうも、木村(@kimu3_slime)です。
先日、ゲーム(スプラトゥーン2のサーモンラン)をやりこんでいて、めちゃくちゃ萎えたので、そのことをきっかけに僕のゲームプレイの姿勢について書こうと思います。
つらくてもゲームをするか?
僕が先日目指していたのは、スプラトゥーン2のサーモンランというモードで、たつじん999(カンスト)になることでした。
サーモンランは特定の時間帯にのみ開催され、1日毎にその内容が変わっていきます。つまり、1日ごとに結果がリセットされる(たつじん40まで戻る)のです。
一度は910まで行ったので、もう一回やれば999まで行けるかなと思ったのが間違いでした。
その後時間のあるときに2回チャレンジして、2回とも失敗。700-800あたりで停滞してしまうのです。
サーモンランは敵がCPUであるものの、味方はオンラインでランダムに集められたものです。失敗が続くと、どうしても味方に対してイライラしてしまう。ため息さえついてしまうのです。
2回失敗して、2日(1回で12時間はプレイしていたと思うので、計24時間)も無駄にしてしまった。
「楽しめないなら、ゲームなんてやめれば?」という声があります。しかし、僕にとってゲームは単なる娯楽ではないのです。
スポーツとしてのゲーム
僕はゲームをやりこむ時、それをスポーツ(競技)だと思っています。面倒くさいことを覚悟しても上達したい。
一度立てた目標は、達成できそうなものであれば諦めずにやり続たい。たとえ途中経過がつらくてもです。むしろ、途中に困難があるからこそ、達成したときの喜びがあるわけです。難問はストレスフルですが、だからこそ得られる快感も大きい。
このようにゲームをプレイするようになったのは、中高生の頃、シューティングゲーム(東方Project)がきっかけだと思います。
それまでもゲームはプレイしていたのですが、結果を外に見せるべく取り組んだのはここが最初だったかと。
ガチのゲームプレイ(の動画)って美しいんですよね。RTAとか好きでよく見ています。完成品を見ると、その奇想天外なトリックに驚きます。また、それができるまでにどれだけリトライしたか考えると、気が狂って笑えるくらい恐ろしいです。
ともかく、シューティングゲームがきっかけで、ゲームをやり込んで結果を出す楽しさ、それが評価される楽しさを知りました。
最近でやったゲームで人に言えるものだと、スプラトゥーン1でS+85、シャドウバースでマスターランクあたりでしょうか。
スプラトゥーン2のガチマッチはそんなにやる気が起きないのですが、サーモンランは楽しいので999達成しておきたかったんですよねぇ……。もう萎えたのでしばらくやらないと思いますが。
仕掛けられた競争と煽られたプライド
僕は最近そんなにゲームをするつもりではいないのですが、平日の夜や休日はけっこうな時間をゲームに費やしています。
娯楽以上としてやるつもりはないんですよね。スプラトゥーン2のリーグマッチは、コミュニケーションとして、飲み会に参加するようなつもりで楽しいのですが。
ゲームの1人プレイは、本当に得られるものがない。ゲームプレイで収入を得られるほど、プレイがうまいわけではないことは自覚していますし、配信に興味もありません。ゲームに自己満足以上のリターンがないのは明白です。
あるとすれば、人に話してすごいと思ってもらえるような実績だけです。
それでもいつの間にか、実績のためにプレイしている自分がいることに気づきます。「僕はゲームがうまいんだぞ」と誇示し、承認されたがっているのです。
もう少しメタに見れば、競争に組み込まれてしまっているのです。
ゲームのランク、成績は、自分の能力と他者の能力を比較させます。「ゲームがうまいなら当然最上位ランクには行ってるよね」「やりこんだなら人には出せない結果が出せるよね」と考えて目標を作ってしまうのです。
冷静に考えてみるとくだらないことですが、そういうプライドを僕は持っているんですね。
つまり、ゲームをプレイするかしないかという問題よりは、ゲーマーであるというアイデンティティを捨てるか否かという問題なのです。
なんで僕はゲームのやり込みにこだわっているのかわかりませんが、ゲームをやり続けるのは楽しいことですし、できればうまくありたいと思っています。
しかし、ゲーマーとして生きるつもりがない、という決断は既にしています。新たにゲームで実績を作るような生き方は選んでいないんですよね。僕がより楽しめて、より社会にもたらせる価値が大きいのは他の方向性ではないかと、大学進学の時点で考えました。ゲームは楽しめることではあるのですが、残せるもの・生産性が低すぎる。
だから現状では、ゲームのやりこみはやめようと思います。
やり込み方面に行ってしまうのは、ゲームの実況動画をよく見ているから、というのもあるんですよね。うまいプレイや面白いデッキを見ていると、娯楽としてやりたくなってくる。娯楽としてやっていると、中途半端が嫌だからやり込みたくなってしまう。そして消耗する。
一度やると決めてやり始めたことは、徹底的にやる。これはもう僕のサガで、直せないことです。しかし向上心をゲームに費やすのはもったいない。このやり込み力は、ブログにフォーカスするつもりです。
ということで、僕が娯楽以上にゲームをプレイしてしまうのは、競争で優越したいというゲーマーとしてのアイデンティティを強く持っているから。で、僕は別にゲーマーとしてのアイデンティティを満たしたいとは、もはや考えていないんですよね。という確認ができて良かったです。
木村すらいむ(@kimu3_slime)でした。ではでは。