どうも、木村(@kimu3_slime)です。
SNSを活用したり、ブログを運営していると、それだけで「木村くんは、何か面白そうなことをしている」と言われることがあります。僕としては、大したことをしているつもりではないのですが……。
これは、情報発信している個人がもつ力です。
逆に言えば、どれだけ面白い活動をしていても、情報発信しなければ知られることがないんですよね。
発信していないと、「好き」という気持ちが知られない
表に出ないものを、人は評価しようがありません。例えば、作品を好きという「気持ち」がそうです。
僕は、同人ゲームサークル「上海アリス幻樂団」の東方Projectというゲームが好きですが、そのことについてまだブログではあまり発信していません。
だから、ブログ「かくいう私も青二才でね」の三沢文也(@tm2501)さんと初めてオフ会をしたときに驚かれました。(彼のブログ・SNSのアイコンである金髪の少女は、東方Projectに登場する霧雨魔理沙というキャラクターです。)
東方Projectについては大体の作品をルナティックまで全部クリアしたという手練。
全然オタクっぽい活動をしてないのに、実はやりたいことはクリエイター支援であったり、ネット的なコンテクストを残す方だったりするらしい。
僕が中学2年-高校2年生の頃は、家で東方Projectのゲームしかしていなかったような人間です…(笑)。おかげで、スコアラーとしてネットの一部で知られていた時期もありました。
一応、東方Projectについての記事も、カテゴリーを作って書いています。
しかし、このように発信量が足りないと、どれほど好きなものであっても、好きであることが人に知られません。
また、僕は好きなものについて語ることがあまり得意ではありませんが、それを直していきたいと考えています。
目をキラキラさせて、自分の好きなことを語るタイプの人が羨ましくなることもありました。
一つの作品をじっくりじわじわ頭の中で味わっていても、外から見るとその作品が好きかわからないんですよね。
好きなものについて語れる人の方が、好きであることが良く伝わってきます。
頭の安価でどれほど強く思っていても、その思いは伝わりません。恋愛でも同じですね。
ネットラジオ「文脈ラジオ」は、自分が好きなものを語る練習にもなっています。
「好き」という気持ちさえあれば、情報発信は続けられるはず!
参考:「お土産は先に買えない」の法則から考える、情報発信を続けるコツ。
発信してアーカイブされなかった情報は、人の記憶から消えていく
発信しなければ、時間をかけた活動も、「好き」という気持ちも知られません。
これは、人は見た目で9割判断されるという話に似ています。
しかし、似ていますが別物です。発信しない人は、見た目が悪いのではなく、姿を現さない状態です。
イベントも、Twitterやブログで発信してアーカイブしなければ、すぐに忘れられてしまいます。
沖縄ライターのmiya-neeさんは、次のようなツイートを残しています。
イベント開催中のツイート率の高さは東京が圧勝だなあ。終了後の「開催しましたー」なツイートは次回に向けての宣伝効果と足跡を残せるから未発信よりはまだマシ。でもリアルタイムの投稿は現場の熱量を感じるのとエントリーFreeなら投稿見て参加者が増える可能性もあるから最も有効だよね。
— miya-nee/みやねえ@沖縄フリーライター・編集者 (@miya_nee3) March 20, 2016
最低限、「イベントを開催しました」というつぶやきをひとつ残すだけで、今後の役に立つということですね。
歴史もそうですよね。歴史に残っていない出来事、史料として残されなかったものは、存在しなかったことにされます。その時々で、時代の勝者が歴史を自分たちが正しいように記すこともあります。歴史は、「今」に準拠した過去に対する認識です。
逆に言えば、発信して今を残すことは、歴史にわずかでも記録を残し、存在を認められることにつながります。
あなたは存在しているか?
ライブドアの堀江貴文さんは、プロブロガーのイケダハヤトさんとの対談で、「嫌われることは問題ではない。一番ダメなのは、無視されていることだ。」といった考えを残しています。
参照:自分が「いなかった」ことにされたまま一生を終えないために – 堀江貴文「ゼロ」を読んで
何も残さないということは、自分がいなかったのと同じこと。この考え方を知って、僕はハッとしました。
僕が「人の話を聞きたい」と思うようになったことのきっかけには、両親の離婚がありました。
参照:どうか、伝わらないコミュニケーションを続けるのは、やめてくれ。ぼくが手伝うから。
でも、なかなか普通の場所で家庭の事情の話はしないんですよね。タイミングがないので。TPOを外すと、気まずい空気も生まれますし。
だからと言って、何もしなければ、誰にも知られることがないまま「昔のこと」として忘れ去られてしまう。
このブログで記事を残したからこそ、今こうやって話しにくいネタを紹介できるわけです。
両親の不仲で離婚する家庭はいくらでもあって、そのあと「第三者目線を持った大人に相談しよう」という発想がないまま自分の気持ちを押し込めてしまう子供って、いると思うんですよね。
あの頃の自分の悔しい気持ちを、きちんと存在したものとして残していきたいと思います。
たかが表現していないことだけで低く見られている人が、もったいなくて見ていられないんだ
ちょっと重い話になってしまいしたが、僕が言いたいことはこれです。
表現していないことによって、実質よりも低く評価されているのがもったいない。
僕の場合、今後のことを書いた「木村すらいむ(木村一輝)/ 2016年3月大学院卒業後の活動」という記事を公開したら、それだけで応援のコメントをたくさんいただきました。
このブログとTwitterでの発信をきっかけに知り合った人は、僕の人生に大きく影響を与えています。
ただ今後のことを書くだけでも、書くのと書かないとのでは雲泥の差です。
だからと言って、「今は、SNSでセルフブランディングの時代。見られ方を気にするために、発信しよう」なんてことは言いません。トレンドに乗っかった活動は、なかなか長続きしない。
僕がブログでの発信を続けるきっかけとなった、ブログ「隠居系男子」の鳥井弘文(@hirofumi21)さんは次のような言葉を残しています。
たとえ金銭的な対価を受け取ることができなかったとしても、誰からの評価も受けることができなかったとしても、人間が毎日淡々と続けられることは、愛と呪いだけ。
もちろん何かを表現する上でも同じことだと思っていて、本当に心から好きなことか、心から憎んでいることしか、人間は表現し続けることができないようになっているんだと思います。
このブログは、小さな文脈を見出して、解説するブログです。めちゃくちゃ面白いことをしているのに、知られていない人・コンテンツを紹介します。僕は、発信していない人の代わりに、発信します。僕は好きな人を発信という手段で応援することが好きだから。
でも、そういう情報発信はあくまで第三者の目線。本当は、活動している本人に表現して欲しいんだ。きれいに表現しなくてもいいから、とにかく発信して残して欲しい。「大した作品でない」と思っていても、発信していれば周囲の見る目は変わっていきます。今、このブログをここまで読んでいるような人なら、発信できる。
木村すらいむ(@kimu3_slime)でした。ではでは。