どうも、木村(@kimu3_slime)です。
丸山徹「アダム・スミス『国富論』を読む」を読みました。
この記事では、なぜ経済学が生まれたのか、それを考えたいと思います。
僕にとっての経済学
まず、僕が経済学のことをどう考えているかを話しましょう。
2017年現在を生きていて、ニュースでビジネス・経済の話題を聞かない日はありません。人や企業がどのようにモノ・お金をやりとりしているか。それが重要でないはずがない。
経済現象自体は身近なものです。ですが、それにどんなメカニズムが働いているかは全く知りません。
つまり、僕は経済学のことをほぼ知りません。
5年ほど前に、大学の教養科目の授業で経済学の教科書を読みましたが、今覚えている内容は「需要・供給の関係で価格が決まる」みたいな話。まあ人は忘れてしまうものです。
そもそも、経済学とは何か、なぜそのようなものが必要とされたのか。「アダム・スミス『国富論』を読む」を通して理解したいなと思います。
経済学とは何か・何が目標か
アダム・スミスは、18世紀にイギリスに生まれた人物です。経済学の基礎を築いたことから、経済学の父と呼ばれています。
彼の代表的な著作が、国富論です。国が富むための理論。
そのタイトルを知るだけでも、(スミスが)経済学をなんの目的で考え出したかが感じ取れますね。
もともとのタイトルは、「諸国民の富の性質と原因の研究(An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations)」でした。
「私たち国民の富とはどのようなものか。それはどのように生まれるのか。それを調べるのが経済学です。」と言われたら、すんなり飲み込めますね。
スミスは、経済政策の提言も、経済学の役割だと考えています。
第一に、民衆に豊富な収入または生活資料を供給すること、つまり、もっと適切にいえば、民衆がみずからそのような収入または生活資料を調達できるようにすること、そして第二に、公務を行うのにたりるだけの収入を、国家または公共社会に供給することがそれである。経済学は民衆と主権者との双方を富ますことを目指している。
引用:アダム・スミス『国富論』を読む p.49
この目的は、身近とは言い難いです。自分個人が富むため、自分たちの団体・企業が富むため、ならイメージしやすい。経済学の視点はより広く、民衆や国家を見据えた幅の広さを持っています。つまり、私のためだけでなく、私たち全体を考えて役立てる面があるんですね。
経済学=モノの交換を調べる
経済学はなぜ重要か。それはただ単に、お金の流れを調べるものではありません。
お金(貨幣)は、生活に必要な食料・土地代(家賃)・仕事の道具を調達するのにほぼ欠かせないものになっている。私たちは、生活に使う全てのモノを自分で手に入れているわけではありませんよね。お金を使って交換して手に入れている。
お金は価値のあるモノと交換されます。価値あるものと交換できるからお金を求めるのであって、何も交換できないなら誰も必要としないでしょう。
経済学=お金ではなく、経済学=人が行うモノの交換活動を調べる学問といったほうが、その意義がよりわかりやすいのでしょうか。人・国が富むためには、生活に必要なモノを作り、お金を通して交換することが必要だ。
この前提を踏まえれば、次のようなことが気になってくるはずです。役に立つモノの生産(仕事)を効率的にして多くのお金を得るには、労働力をどう使えばいいのか。モノとお金の交換比率(価格)、労働力とお金の交換比率(賃金)はどのように決まるか。外国との貿易で、適切な規制を加えたほうが国は得をするのか。
これらの疑問にスミスは答えを与えています。詳しくは語りませんが、分業論、競争と自然価格の話(見えざる手)、重商主義の批判です。
なぜ経済学が生まれたか
アダム・スミスによって、近代の経済学は生まれたと言われています。彼の思想の背景には何があるのでしょうか。そもそも彼は、学問をどのような姿勢で捉えていたのでしょうか。
自然が一つのキーワードです。「国富論」の中では、自然律・自然価格・自然的均衡・自然的自由といったように自然を使った用語が登場し、自然の順序に任せるのが良いという考え方を持っていました。貿易の独占や同業者組合の連携を、自然な動きを妨げるものとして捉えました。
アダム・スミスに限らず、17世紀のヨーロッパには自然に関する考え方が普及しつつありました。曖昧で理解しがたいものとしての「自然」という中世的な捉え方が終わり、秩序があり合理的な存在・マシーンとしての「自然」が生まれました。神学に依存しない自然法の提案や、ニュートン物理学などの自然科学の確からしさが信じられるようになったわけです。
その背景の中で、アダム・スミスは学問を考えるときに特にデカルトの方法・精神を継承しています。近代物理学を築き上げたニュートンの方法は、アリストテレスの方法ではなく、デカルトの方法によるものであったから評価されたとスミスは考えました。デカルトは、近代哲学の父と言われる人物ですね。
その上でスミスは、学問・研究・哲学をなぜやったのか。どんな動機だったのか?
彼は人間精神の「1.不思議(wonder)の念、2.驚異(surprise)の念、3.讃嘆(admiration)の念」が人を哲学に向かわせる根本だと考えています。
まず、不思議に思う。心がざわざわする。そして、落ち着かないから謎を解決しようとする。すると、自然の中には思ってもいなかったような秩序が備わっていたことに気づいて、驚く。そのメカニズムの美しさには、神の御技としか思えず讃えたくなる。
秩序を求めて動くのは、ニュートンが発見したような物体の運動だけではない。モノの価格も、人が利己的に行動できる状態なら自然な価格へ落ち着く。さらには人間の精神も、不思議で仕方ない状態から、それを解決して落ち着いた状態へ向かう。
このようにアダム・スミスは、「自然」という思想を使ってモノの交換活動を理解しようとしたからこそ、経済学の父となったのだと思います。
丸山徹「アダム・スミス『国富論』を読む」は、スミスの経済学の内容だけでなく、この記事で解説したような歴史的・思想的背景まで踏み込んで語ってくれているので面白いです。
木村すらいむ(@kimu3_slime)でした。ではでは。
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