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微生物はいかにして人間に知られたか 服部「微生物を探る」を読む

どうも、木村(@kimu3_slime)です。

服部勉「微生物を探る」を読みました。

もともとは微生物学の古典・入門書を探していて、そこで出会ったのがこの本です。

多くの微生物に関する本は、微生物の分類・各種の解説に尽きていて、微生物に関して知っている前提のものばかり。

そんな中で「微生物を探る」は、「そもそも微生物ってどういう歴史的背景で発見されたの?」というところから入って、レーウェンフックが顕微鏡で発見したというエピソードを詳しく書いてくれています。

服部さんが定年になったときに研究人生を振り返り、微生物学の意義を考え直して書いた、味わい深い本です。一種のエッセーとして読める部分もありますね。

さて僕は微生物学は初学なので、「微生物はいかにして発見されたか」がとても面白かったです。それを紹介します。

 

微生物学の先駆け・レーウェンフックと王立学会

微生物の古典としては、レーウェンフック、パストゥール、コッホ、この3人が重要でしょう。

 

まずはレーウェンフックから。1632年・オランダ生まれの彼は、「微生物を最初に観察した」人として知られています。

「近くの湖の水を取ってきて、顕微鏡で観察すると、奇妙な粒子がたくさんあるのを発見しました」という手紙を、科学学会・ロンドン王立学会に送っています。

彼はその生き物を、アニマキュールと名付けました。現在の言葉で言えば微生物にあたるものでしょう。1/10mm〜1/1000mmの生き物が存在するなんて、当時の常識ではありえないことですよね。

彼は商人であり、科学に関する専門的な教育を受けた経験がありませんでした。にもかかわらず、科学に対して大きな貢献をした人物というわけです。

独自の顕微鏡を数百個も開発し、ひたすら観察する好奇心旺盛な人だったようです。水の中だけでなく、動物の体、人の排泄物、人の腔内とサンプルを変え、微生物の大きさを水滴との比較から推測しました。

ひたすら惑星の運動を記録した、ティコ=ブラーエのような役割でしょう。その研究はケプラーに引き継がれ、法則化されます。

 

僕はこのレーウェンフックのエピソードが好きです。

科学的な発見が、個人のみによってではなく、共同的になされていく時代になったことが感じられます。

ロンドン王立学会が1600年前後にできたことが大きいですね。そこには各地の発見が手紙によって集められ、実験でそれが正しいかどうか確かめられていたわけです。

そういう活動集団があったからこそ、レーウェンフックの発見をロンドン王立学会へつないでくれるような人もいたのでしょう。

デカルトが構想した壮大な共同実験計画が、現実のものになったのだと思います。

 

発酵・伝染病は菌が原因だった:パストゥールとコッホ

レーウェンフックから約200年後、1822年・フランスに生まれたパストゥールは、近代微生物学を築いた人と呼ばれています。

この間には、ラボアジエが登場し、近代化学が築かれていました。錬金術は不可能です、燃焼現象はフロジストン(燃素)が原因ではなく酸化反応です、といったものですね。

当時の疑問の一つが、アルコールの発酵現象でした。糖(グルコース)が分解され、エタノールと炭酸ガスができる現象。これがどんな仕組みで進行するのか、当時の化学者には疑問でした。

発酵を進める物質は、発酵素と呼ばれていました。発酵素はタンパク質を含むことが確認されたので、それは触媒ではないか(触媒説)を唱えた人もいました。化学者は何らかの化学物質が発酵素だと考えたわけです。

そこをひっくり返したのがパストゥールですね。微生物が発酵に関係していること、その種類に応じて特定の栄養素を必要とすることなどを明らかにしました

発酵がうまくいかずに酸っぱくなってしまう(酸敗)の原因は、アルコール発酵に適した微生物以外のものが混ざっていることだと見抜き、この混入を防ぐ方法を提案しました。それが低温殺菌法で、パスチャライゼーションとも呼ばれます。

火を通すと酒が上手にできるということは経験的に知られていたようですが、パストゥールはそれを理論的に明らかにしたわけです。(参考:パスチャライゼーション – Wikipedia

 

発酵現象以外にも、伝染病もある種の微生物によって起こるのではないかという説が1800年代に考えられていました。

パストゥールは、蚕の間で起こっていた病気を突き止めて欲しいと依頼され、その原因となる微生物までは明らかにできませんでしたが、解決法を提案しました。

その後、彼は炭のようなかさぶたが皮膚にできあがり死をもたらす恐ろしい病気、炭疽病の研究に取り掛かります。

同時期に、1843年・ドイツ生まれのコッホ炭疽病を研究し始めます。

コッホは、パストゥールが研究に使っている微生物のストックが純粋ではないと批判しました。

パストゥールは、特定の微生物が好む育成条件・培地を作る集積培養という方法を使っていました。その方法では、病気の原因となるある特定の微生物だけを増やすのは難しかったんですね。

純粋培養、他の菌を混ぜないで培養する技術。それをコッホは確立しました。どうすれば良いか。従来の方法(液体培地)だと、菌が自由に動き回ってしまいます。そこでゼラチンを使ったんですね。まずは液体状態でサンプルをかき混ぜて散らばらせて、低温して固定した。時間が経つと目に見えるレベルの微生物の集団(コロニー)ができあがっている。菌は動けないで増えたのだから、そこを拾いあげれば純粋になるはずだ。これは平板法と呼ばれます。

画像引用:Leberechtc – Wikipedia

コッホは平板法を使い、炭疽病の原因となる炭疽菌を突き止めました。彼が用いた感染症の病原体を特定する方法は、コッホの原則と呼ばれています。

 

さてその後、微生物学は、さまざまな微生物を見つけ出し特徴付ける微生物狩り、生物に必要な栄養素(成長因子)の流れを見出す生化学と、およそ2方向に分かれて進みました。

 

現在になって知識は深まったけれども、自然に住む細菌の1%しか培養して研究することはできないそうです。培養を基礎とするパストゥール・コッホ流の近代微生物学には限界があるんですね。

著者は、若い頃に微生物学研究を志すときに、次のような手紙を書いたそうです。

「地球が誕生してから今日のようなみどりの大地がうまれるまでには、いろいろな変化があったはずです。誕生まもない地球の表面は、ごつごつした岩ばかりからできていたといいます。その表面が今日の肥沃な土壌にまで変化してきたのですが、ここには三十億年以上にわたる微生物の働きがあったにちがいありません。その働きとは一体どんなものであったのか。この問いにこたえることが、これからの私の目標になります。」

停年をまえにした私は、若き日のこの夢をよく思い出しました。果たしてこの夢にどれだけ肉薄してきたのだろうか自問もしました。自分のしてきた研究は、なるほど微生物世界の内部を研究するための必要な布石であったにちがいないが、初心にいだいた計画には肉薄どころか、あまりにも距離がありすぎる、それが率直な印象でした。

引用:微生物を探る p.240

若き日の大きな夢と、それにどれだけ迫れたかという自問自分の研究人生を振り返る実体験の伴った文章に、僕は強く心が動かされます。

微生物の世界は広大だけれど、人間の活動はそれにはお構いなしで進むだから、微生物研究を一部の人に任せているだけではいけない。微生物博物館のようなウェブページを作って、できるだけ多くの一般の人ができる範囲で微生物を探ることが大事だ、と服部さんは述べます。

これは微生物学だけでなく、あらゆる学問の研究者に言えることではないでしょうか。学問の世界はあまりに広く、一人の人生でどれだけ真実に迫れるかわかりません

その限界を考えると、研究を大学で行うだけでなく、一般の人の関心ごとになるように、より社会を巻き込んだ形で行うことができればその大きな夢が達せられるのではないか

難しいですけど、僕もそういう方向性で頑張っていこうと思いまあす。

木村すらいむ(@kimu3_slime)でした。ではでは。

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