(僕の論考、持論であり、理由は述べたものの、完全に客観的な記述を試みているわけではありません。)
新しいものは9割否定される
人は育った時代の”慣性”で生きる。新しく登場したわからないものを、くだらないものと認識する。
古典的な芸術や音楽や伝統芸能は、評価されてきた歴史と、それをベースとした価値体系を持っている(良質な価値体系を生み出したから、評価されて歴史に残った)。こうした時代において、芸術や音楽や芸能は、それによって社会が築かれていて、その文化のみが”文化”として、公共の力を割いて保護・保存される(文化財、大学、博物館など)。権威ある文化である。
築かれた文化を批評的に見ようとする人は数千年の昔から今も同じくごく稀で(だってその文化によって自分ができあがっているのだから)、民衆は評価された文化や権威にのっかる(宗教や文化は、統治装置として利用されてきた)。
となると、新しいコンテンツは、大半は文化に満たない、くだらないものとして否定される。歴史や権威もなく、底が浅く商業化もされない、変人か若者しか好まないものとされる。
そしてその認識は、そうは間違っていない。
消費社会において、世の中に100のコンテンツが新しく生まれるとして、90は評価されずに終わる。10は、一部の人たちに評価される。旬ジャンル、ブームが起こったコンテンツである。(数字は比喩)
その10のうち、9は数ヶ月で消え、1は数年単位で残る。この1は、一部の人たちにだけでなく、ネット全般・テレビや新聞などマスに知られる機会が出てくる。その年代を代表するカルチャー、そう呼ばれるくらいにはなるだろう。
しかしその1も、数年続けば良いもので、古くなって終わっていく。時代の空気が変化すれば、その時代に評価されたものが古びて見えるのは当然だ。(社会の価値観は変わるものだから、古くならない文化はない)
消費社会において、10年続くカルチャーは稀である。また、情報社会化、ネットの登場によって、カルチャーの新陳代謝はますます速くなっている。かつてなら数年かけた文化が、1年や数ヶ月単位で消費される。
長く続けるためには、変わり続けなければならない
数十年、数百年単位のマクロな視点で話をしてきたが、ここからはよりミクロな視点で文化を見てみよう。
カルチャーという言葉の語源は耕すことであるように、土壌を豊かにし恵みを受け取る人が増えたものが文化だ。
特に情報社会化が進むにつれ、カルチャーを動かす力は、新聞・雑誌・テレビに代表されるマスメディアから、ネットを使い発信する個人や小規模コミュニティに移ってきた。
最近で例えばアニメ「けものフレンズ」は、公式や大手メディアによる宣伝ではなく、ソーシャルメディア・Twitterに端を発するブームだ。2017年を代表するコンテンツとなったことには違いない。
ソーシャルメディアが力を持つ時代において、カルチャーを生み出す種となるのはブームだ。バズと言っても良いだろう、急激な発火が広く人の注目を受けるきっかけになる。この段階がなければ文化に至らない。
でば、ブームはどのようにして起きるか。答えのない問題だが、ぜひ考えてほしい。
僕は(ファン)コミュニティがブームを起こすと考える。コミュニティがなければブームは起こらない。
コミュニティは、ファンによって成立する。
ネット以前から力を持つコミュニティの例として、同人・オタクのコミュニティに注目しよう。
同人とは同好の人の意味であり、つまりファンの集いだ。オタクという言葉は同人の流れから生まれ、一般化してきた。
コミュニティは熱心なファンから生まれる。これに異論はないだろう。熱心に公式の情報を集め創作に精を出すファンは、外に出て・ネット上で多くのつながりを持ち、情報網・人間関係のネットワークが自然と築かれる。これがコミュニティの誕生である。
コミュニティはたくさん生まれるが、これもコンテンツの淘汰と同じで、9割のコミュニティは消え、1割が残る(数字は比喩)。
残るコミュニティが多いジャンルは、やがてブームを生み出す。(ざっくり言えば。本当は、ファン創作活動の活発さ、外に向けた情報発信ができるかどうかが鍵だが、論旨からずれるので別の機会に。)
ではコミュニティが存続する条件はなにか、つまり良いコミュニティとはなんだろうか。
答え方はたくさんあるが、今回僕が指摘したいのが流動性だ。
悪いコミュニティには流動性がない。マニアックで内輪に閉じている、と感じるコミュニティだ(人によってイメージは違うであろう)。
(この記事は面白かった:ガンダムが閉じコン化しているこの理由が納得できる – elken’s blog)
(コンテンツ名関係なく)悪いコミュニティで見られる行動が、古参による新参の排除だ。古参は、そのコミュニティ内で知識と人的権威を持っていて、マナーやルールを作ってきた人たちのことだ。
良くない古参は、知識をマウンティングのために使ったり、ルールを守らない新参を非常識だと排他したり悲観的になったりする。
そんなコミュニティに新参は入らない。すると新規ファンも定着せず、年寄りのコンテンツとなり、閉じコン(閉じたコンテンツ)・オワコン(終わったコンテンツ)となる。そもそもコミュニティがあると言う時点で成功したコンテンツとは言えるのだが、過去の栄光に終わってしまったコンテンツとも見られるだろう。
短期的に見ればファンがいるのは良いことだが、一部のファンが自分のためだけの場所にしてしまうのは、成長と未来を奪う。新参が入る流動性がないのが失敗なのだ。
競争から協同へという昭和から平成世代の意識変化があるのか、ネットの普及が影響するのかわからないが、コンテンツを自分たちで独占するコミュニティは減ってきた(そういうものは存続しなかった)。
良いコミュニティは、古参が新参を歓迎している。
どんなジャンルにおいても、新参は歴史や知識を持たないミーハーであり、時にはマナーに反した行動をするものである。
そこで古参が”新参はダメだ”と放棄したら終わりだ。良い古参は、コミュニティの歴史やマナーをきちんと伝える。抑えるべき知識を暗黙のものではなく伝えられるように理解し、新参を排除ではなく教育する。
これを僕が最初に知ったのは、コミックマーケットでのことだった。もちろん内輪の人には見えない常識は多く、新参からするとわからないこともあった。しかし、まず教えられたのは、お客様気分ではなく、一緒にコミケを作り上げる参加者たれ、ということだった。この精神があるため、大量の人が集まるにもかかわらず列形成はスムーズで、スタッフの誘導に従う良識ある人が多い。これは最初からマナーをわきまえた人だけが集まったのではなく、精神・ルールの周知・古参による教育の結果だと思う。
オタクが蔑視されるものから、オタクカルチャーとして評価されるまでに大きくなったのは、同人・コミケの界隈が良いコミュニティを持っていたからだ。ネット以前からファンのみんなでコミュニティを作ることに長けていて、それがネットによってブーストされた。
コミケの例がそうだが、良い古参は長期的な視点を持っている。自分たちだけで今楽しければ良いのではなく、コミケという場を残す・継承することで、好きなものを長く続けてほしいと考えている。(僕はこれを同人的精神と呼んでいる)
新参を受け入れられるジャンルは、ブームが起こり新規流入があり持続する。
僕は東方というジャンルの中で育ってきたが、新参古参のいざこざはありながら、なんだかんだで教育(原作者あっての二次創作、リスペクトを持て、という教え)があって、ニコ動の登場という変化すら受け入れてきた。
情報化社会が前提となった変化の激しい時代においては、流動性があり、変化できるコミュニティが生き残る。これは生物の歴史と同じで、環境変化の時期に変化できない種は淘汰される。
補足的だが、コミュニティ内の努力のみによってブームや文化が生まれるわけではない。
近年、デジタルゲームを競技として盛り上げようとする動きe-Sportsが登場してきた。
ゲームがスポーツになるわけはない、と見る人もまだ少なくないだろう。
競技、あるいはスポーツというものは、観客があって成立する。これは従来からあるスポーツ、将棋や麻雀でも同じだ。
すべてのゲームがスポーツになるわけではい。e-Sportsの盛り上がりは、まず格闘ゲームのような対人ゲームから始まっている。最近では、対人シューティング(FPSやTPS)、デジタルカードゲームが人気だ。
なぜこれらはスポーツ化しつつあるか。それは、対人・チームを組むことによる不確定要素、アイテムやカードシャッフルの運要素が適度にあり、それが新規流入とプロを生み出すからだ。
実力ゲーと運ゲーの中間が競技になる。実力で完全に決まるゲームは、新規参入が難しい。新規がいなければ観客は生まれず、結果スポーツにならない。逆に、運要素が多すぎれば、プロが新参にボコボコ負けて、技量による実力差がつかず、ゲームを極める意味がなくなる。
新参でも勝てる楽しさがある。だけど、時間をかけてプレイしてスキルを磨けば勝率は上がる。そういうゲームでは、新規であってもプロのプレイに学ぶことは多く、大会も行われ競技となるだろう。
e-Sportsの例は、ブームや文化が生まれるかどうかは、ファンの努力のみでなく、公式サイドがコミュニティに流動性を持たせるコンテンツを提供できているかどうかが大事だ、ということを教えてくれる。
2018年において、文化の種となるのはコミュニティ発のブームだ。そのブームは、古参の蓄積を新参へと継承する、流動性のあるコミュニティから生まれる。
ブーム発生のメカニズムは語るべきことがあるが、記事の焦点とずれるのでまたの機会に。
今回は僕なりに文化というものを分解し、ブームとコミュニティについて論じた。コンテンツやジャンルによらない内容なので、ぜひ自分のコミュニティ活動に引きつけて考え、実践のヒントとしてほしい。
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