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生を前向きに捉えるために 『「死」とは何か』を読む

どうも、木村(@kimu3_slime)です。

そこで、「「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義」を読みました。

僕は26歳で、親や親族の死について考えるような時期になってきています。また、自分自身、死についてきちんと考えてこなかったなと思い、手にとった本でした。

気に入ったポイントは、宗教に頼らずに、合理的に議論を積み重ねていくところ。倫理や道徳に訴えながら考える本ではないということです。

日本語訳にあたり、前半の形而上学的な議論、基礎議論が削られてしまっているのはとても残念でした。が、死(と)について考えることの基礎を与えてくれる良い本だと思います。

 

「人格」を持って生きているということ B機能とP機能

死とは何か。例えば、脳が死んでいる状態は、生きているのか死んでいるのか。

こうした議論をクリアに説明していると感じたのが、B機能とP機能の話です。

それぞれ、Body機能(身体機能)とPerson機能(人格機能)の略語。生きているとは、B機能とP機能両方が生きている状態を指すわけです。脳死のような状態は、P機能が止まっています。

人間の多くは、このP機能を維持するべく生きています。仮に自分の肉体が生き続けていても、記憶喪失して全く人格が変わってしまったら、「自分として」生きているとは言えません。生きている=「P機能を持った物体」という考え方は、少し冷淡ですがシンプルでわかりやすいです。

また、死が悪いとしたら、なぜ悪いのか。この話は、剥奪説によって説明されます。人間にとって直接的に悪いのは、痛いことや苦しいこと。そして、職を失うようなことは、痛みや苦しみにつながるので、間接的に悪いこと。死は、もう少し弱い意味で悪い。つまり、生きていればおいしいものが食べられたかもしれない、幸せな思いができたかもしれない、「死」はそうした良い機会を奪う。これが剥奪説ですね。

「永遠の命は良いものとは言えない」「自殺には合理性があることもある」……などなど、僕も納得できる結論が他にも導かれます。個人的には、高校生くらいの頃に考えた、「脳内麻薬を出し続ける=幸せ?」といった話も出てきて、面白かったです。

 

論理的思考によって手に入るもの、手に入らないもの

ここからは、「死」から少しテーマがずれるかもしれませんが、生の肯定について、僕の個人的な話をしていきます。

僕は、生を前向きに捉えながら生きていくのは良いことだと考えています。そのために、「自傷や自死が悪いのか?」といった疑問に合理的に答えられたらと思い、死について向き合う本を買いました。

結論としては、哲学を通して論理的に考えることだけでは、生を肯定する結果は得られないのではないかと感じています。この本を読めば、死に対する非合理的な恐れや判断を避けることはできますが、生を肯定するような性質のものではありません。それはもともとの射程でないのでしょう。

 

僕はおよそ12歳から18歳あたりまでは、人生はどちらかというと悪いものと思えるような出来事が多かった。良かったのは、ネットをしたりゲームをしたりしているときぐらいのものです。

そして大学に入り、友人やパートナーと出会い、人生は良いものだと感じられるようになりました。

参考:高校生2ちゃんねらーが東工大を受験したら人生変わった件 – Share Studies

それまでの僕は、他人の幸せのみ考え、自分の気持ちをないがしろにする癖がありました。「人のことを考えるのは良いが、自分のことを大切にしろ」と何人かの友人に諭され、それ以来、自分の人生は良いものにしていくことができると考えられるようになりました

 

哲学は、突き詰めて論理的思考をする手段を与えてくれます。生は悪いものではないと、冷静に伝えてくれます。それでも、ただ単に一人で思索をするだけでは、人生に対する受け止め方を前向きにすることはできないのではないか考えながら動くことが必要だと思うのです。

いかに合理的な思索によって得られた結果があり、その論理性に納得していたとしても、自分自身の思考をそのように変化させるのは極めて難しいと思います。人間は、意識しない限りはそんなに合理的に考えてはいないと思うのです。少なくとも僕はそうです。例えば自殺に関する章でも、冷静でない自殺の決断もあることが指摘されています(また合理的な自殺もあることを認めていますが)。

本書の途中で、死を通した「人生の価値」の測り方の話がありますが、自分の人生の価値を自分のみで評価するのは、極めて個人主義的なものだと感じました。死や生の価値を、自分ひとりで考えることはもちろんできますが、それは非常に局所的な見解をもたらすのではないか、という疑問があります。

僕たち人間は、一人で生きているわけではありません。信頼できる仲間のいる人生は楽しいし、親に籠の鳥にされて生きる人生は総じてつらいものです。思索もまた、一人で行う分には哲学が役に立ちますが、共に考えるという側面もまた無視できないほど大きいと思います。

僕はもともと、一人で考えるのが好きな方でした。しかし、人・他者と出会うことで、人生に対する基本的な考え方は大きく前向きに変わりました。学ぶことは悪いことではない(むしろ得しかない)ですが、人と接しながら考えることで前に向かうこともあるのではないかと思うのです。

木村すらいむ(@kimu3_slime)でした。ではでは。

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