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文句を言うなら当事者として活動しよう

暖房をちょこちょこと使い始めました。どうも、すらいむ @oily_slime です。

食の安全。孤独社会。災害と生活。住民トラブル。こうした問題に対して、あなたは自分の関わる問題であると感じていますか。あるいは、「これは自分の問題ではないな」と思うのは、どんなときですか。

今回は、「自分の関わる問題である」と主体的に思うこと、当事者意識について短く考えてみたいと思います。

 

当事者意識は、あなたがどう捉えているかの意識

すべてのことに当事者意識をもつことは不可能です。そして、それを外からもたせようとすることは健全ではないと思います。 外から当事者意識めいたものをもたせることは、人を操作しようとする試みです。

あることに当事者意識をもっていても、別のことでは全く関心を示さないこともある。それで良いのだと思っています。

では、当事者意識はどのように生まれるのでしょうか。ぼく自身について考えます。

台風と連絡白杖をもった人と周囲の対応感染症と情報公開などについては、ブログに書くほどには当事者意識があった。また、書くことで、その意識は高まりました。

ぼくは繰り返される社会的な失敗が嫌いです。連携が取れないことにより何度も同じトラブルを起こす人々を見ると、自分の無力さを感じます。だから、身の回りでそれを見ると、つい考えたくなってしまう。どうしたらよいか、何ができるのか。

大学に入ってから、当事者意識はもちやすくなりました。分野として独立した問題なんてなくて、いつでも自分の生活といろいろなことが結びついている。科学や技術は明らかに社会と結びついている。そう考えると、かなりのことを当事者として感じるようになりました。ぼくの生活や、ぼくの生き方に関わってくる問題だと思えば、当事者意識をもたざるを得ない。

 

信頼もできない人に自分の課題を任せていませんか

ここまでの考察をしてみて、ぼくがあなたに問いかけたいこと。

当事者意識をもっているはずなのに、誰かにその課題を任せてはいませんか。

自分の問題のはずなのに、「誰か何とかしてくれる」と一方で考える。自分に関係があることを知りつつも、誰かに任せることで思考を放棄する。

誰かに何かを任せるなとは言いませんよ。ぼくだって、そうして思考放棄していることはあります。

ただ、信頼もできない人に自分の課題を任せるのは良くないと思います。それは完全に責任回避です。任せていた人が失敗したときには、「やっぱり信頼できないやつだった」と言い訳できてしまいます。「誰か何とかしてくれる」と他人に任せて、自分の責任をごまかしていますよね。

 

おわりに

今回ちょっと辛口だったかな?

自分の問題は、自分で責任を取れるようにしましょう。あなたは自分の問題を、自分で管理できていますか。信頼できない人を当てにしていませんか。

さてさて、今回はこんなところで。すらいむ @oily_slime でした。ではまた。