どうも、木村(@kimu3_slime)です。
理性を使えというデカルトの考え方が、学問だけでなく社会や国家に対しても適応されるようになっていき、啓蒙思想なるものが生まれたと言われています。
それを詳しく知りたくてルソー「社会契約論」を読み始めたのですが、なんとなくピンと来ない。そう、法律というものがそもそも何なのか、僕にはよくわかっていないんですね。
それなら古代ギリシャの頃に溯ろうということで、プラトン「法律」を読むことに。
どんな風にして法律は生まれたと考えられるのか、何のために法律を作るのかについて、自分なりの理解をまとめたいと思います。
法律の起源
法律というものは、どのようにして生まれたのでしょうか。
プラトンは、大洪水の後に生き残った少数の人が、村を作り始める頃を想定します。
小さな家ができ、部族(家族)が複数できあがっていきました。
それぞれの部族・家族には、それぞれの掟・習慣が生まれ、引きつがれています。食事や家事の習慣、節約上手なのか勇敢なのか、傾向は異なってくるはずです。
そういう部族が集まり平和な関係を築くためには、それぞれの部族の中から代表者を選び出し、話し合う必要があるでしょう。
その時、できるだけ多くの部族(公共)に役立つルールを定めることになるはずです。自分たちの部族のためだけの掟ではもはや足りず、掟と掟をすり合わせることになる。これが法律というわけです。
そして、その部族間のルールを定める人が立法者というわけです。
国政という観点から言えば、一つの部族で行動していた頃は家父長制・王政、複数の部族が集まった頃は貴族制と言えるでしょう。
プラトンのこの話は、真実かどうかはわかりませんが、納得しやすいものでした。
法律の始まり、その種は家族内のルールにある。
集団が集団を集めてさらに大きくなる時に、大きくなった集団に必要になるルールが法律。
法律の中身は、集団の構成員が増えれば増えるほど、より一般的になっていく(そうならざるをえないもの)というのも納得です。
徳のある人間を目指すための法律
さてそんな風にして生まれる法律ですが、果たしてどんな法律が良い法律なのでしょうか? 何を目指すのが良いのでしょうか?
プラトンは、市民を善い人(=徳のある人)にし、幸せにすることがその目的であると言います。
ゼウスの教えをうけたこのクレテの国の立法者は言うまでもなく、およそ多少なりと有能な立法者はすべて、法律の制定にさいし、つねに最大の徳以外のものにとりわけ注目することはないであろう、ということなのです。
引用:法律〈上〉 pp.35-46
この徳というのは、師ソクラテスから引き継いだプラトンの哲学でよく登場する言葉で、知恵・勇気・節制・正義の4つが合わさったものを指しています。
徳のある人間を目指す、これは「国家」の頃からある根本的な考え方ですね。
例えば、市民を鍛え上げ、戦争に強い国にする法律があったとして、それは勇気という点では良いけれど、徳があるとは言えないわけですね。
徳というものが法律と関係するというのは、倫理的な意味合いが薄まった現在の法律からすると違和感を覚えるポイントかもしれません。
しかし、古代ギリシャにおいて法律(ノモス)は、習慣、掟、規範を意味する言葉でした。いかに生きるべきか、倫理的な色彩がそこには含まれていたわけです。
プラトンはクロノスの昔話を持ち出し、人は支配者になると不正や驕りをどうしても持ってしまう、ということに注意しています。
神が、ではなく、誰か死すべきものが支配する国家は、いかなる国家も、不幸や労苦をまぬかれるすべはない、ということです。むしろ、わたしたちは、手段のかぎりをつくして、いわゆるクロノスの時代の生活を模倣すべきであり、そして知性(ヌゥス)の行う秩序づけ(ディアノメー)を法律(ノモス)と名づけて、公的にも私的にも、わたしたちの内部にあって不死につながる[その知性という]ものに服しながら、国家と家をととのえなくてはならないということを、その物語は意味しているのです。
引用:法律〈上〉 pp.249-250
ここでの視点は、世代を超えた国の存続、そのために法律が必要というもの。
人間は誤りを犯しがちなものであり、支配者となって力を手に入れればなおさらである。
だから、国には支配者がいるだけの無法の国はダメになってしまうし、知性によって定めた法律で人(支配者)を従わせることが必要になってくる。
「法律」を読んで、法律の存在意義、なぜ法律というものが今まで続いてきたかが簡単には理解できた気がします。
ひとつめは、良い人を育て、幸せな暮らしを送るためのルールとなること。良い人が育たなければ、良い支配者も生まれません。
ふたつめは、支配者を良い状態で抑制すること。人は力を持つとどうしても間違いを犯すものなので、人に依存せず、支配の質を保つ手段になる。
「法律」の文章スタイルは、クレア人とスパルタ人の元にアテナイからの客人(プラトンの代弁)がやってきて対話するというもの。
その具体的な法律の内容は、現代の基準からすると参考にならない部分が多いものですが、目指そうとしていたところは現代にも通用すると思いました。
次は、ルター「社会契約論」 に進む前に、自然法・国際法の父と呼ばれるグロティウスの「戦争と平和の法」を読んでみます。法律の話にもっと慣れていきたいな。
木村すらいむ(@kimu3_slime)でした。ではでは。
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