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理性を使うことで、忘れられた感覚 – 山内志朗「感じるスコラ哲学」を読む

どうも、木村(@kimu3_slime)です。

山内志朗「感じるスコラ哲学:存在と神を味わった中世」を読みました。

デカルトの「方法序説」を読んでから、理性とは何でないのか気になっていました。

彼が殊更に理性を強調したのは、当時支配的だったスコラ哲学に反抗したからだと知って、スコラ哲学とはどういうものなのか知りたくなったのです。

デカルトは、理性を使うことで感覚を排除します。理性の対比として感覚があるわけです。

感覚と言ってわかりやすいのは、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚の五感ですね。

例えば、修道院では実はワインが飲まれていて、酩酊した状態は超越者(=神)に近いみたいな話が紹介されていました。

つまり、「感じるスコラ哲学」は五感の哲学の本とも言える面白い本です。

 

神学を理解するのではなく、「感じる」

本の中でわかりやすい例として紹介されていたのが、礼拝堂に飾られた「聖テレジアの法悦」という彫刻です。法悦=エクスタシーですね。

By Alvesgaspar CC BY-SA 4.0

天使によってまさに槍で貫かれようとする聖女の彫刻ですが、なんかエロくないですか? この像は、聖女テレジアの自伝『イエズスの聖テレジア自叙伝』に書かれたエピソードを形にしたものです。

私は黄金の槍を手にする天使の姿を見た。穂先が燃えているように見えるその槍は私の胸元を狙っており、次の瞬間槍が私の身体を貫き通したかのようだった。天使が槍を引き抜いた、あるいは引き抜いたかのように感じられたときに、私は神の大いなる愛による激しい炎に包まれた。私の苦痛はこの上もなく、その場にうずくまってうめき声を上げるだった。この苦痛は耐えがたかったが、それ以上に甘美感のほうが勝っており、止めて欲しいとは思わなかった。私の魂はまさしく神そのもので満たされていたからである。感じている苦痛は肉体的なものではなく精神的なものだった。愛情にあふれた愛撫はとても心地よく、そのときの私の魂はまさしく神とともにあった。この素晴らしい体験をもたらしてくれた神の恩寵に対して、私はひざまずいて祈りを捧げた。

引用:イエズスの聖テレジア自叙伝

本では、「法悦の聖女たちの表現していたのは、神学を理解するのではなく、「感じろ」ということではないでしょうか。」と書かれています。

確かに、「イエズスの聖テレジア自叙伝」の内容もその通りですよね。

神とはどのようなものなのか、論理的に組み立てて理解していくのではなく、「耐え難い苦痛だが、甘美なものであった」というように神をできるだけリアルに感じようとしています。

僕は聖テレジアの例を通じて、神を認識するための方法は、理性だけではなく感覚を使った方法もあるな、と気づきました。

神の例ではありませんが、好きな作品があるとして、それを理解するための方法って、「その作品の何が魅力的か」と論理的に語ることだけではありませんよね。ひたすら作品に没入して、心動かされるような理解の仕方もあるはずです。

感覚というものを、ありのままに外部の刺激を伝える機能、受動的な機能として捉えずに、自ら外のものを感じようとする能動的な機能として捉えることを忘れないようにしようと思いました。

 

個人主義が生まれたきっかけは、神秘主義から

もう一つ面白かったのが、デカルトのような意識中心主義・個人主義は、キリスト教の神秘主義から生まれたという話です。

一見逆に思えるものが、親になっているとはどういうことでしょうか。

そもそも神秘主義は、「宗教的な体験は、伝統や祭儀や制度を介さずとも起こる」という主義です。教会での礼拝・ミサなどは、神との交わりを喚起する手段にすぎないということですね。

対照されているのは、制度としてのキリスト教ですね。神秘主義は、「教会なしのキリスト教」「教会の外部におけるキリスト教」とも呼ばれます。わりと反体制的な主義ですよね(笑)。

(ドイツの)神秘主義において、神は「根底、奈落、源泉」、「受難、苦しみ、痛み」として捉えられていました。

特にその思想がよく表れているのが、神秘思想家である「十字架のヨハネ」です。

彼は、「なんと優しくあなたは傷つけ給う、我が魂の最も深い中心を」と語りました。人間の最も深い部分である魂が触れ、痛みを伴って接触していますね。

さらには、「神のみが、魂の根底において、諸感官の助力なしにさまざまなことを行い、魂を動かす」とも語っています。こうなると、ほとんど神と自分が一致していますね。

魂の中心に神がいて、神がしていることが自分がしていること。これは神中心主義と呼ばれます。自分が考えるということは、神がいるということにもなりますね。これは「我思うゆえに我あり」の個人主義にかなり近いです。

本では詳しくは描かれていませんが、「神秘主義→神中心主義→ルターなどの宗教改革→デカルト」という流れがあるわけです。

感覚を大切にするところから始まって、やがて感覚を否定するところまでたどり着くのは面白い!!

 

 

感じるスコラ哲学」で広げられていた、二値的な真偽を離れた、感覚の哲学の領域は、僕にとって目新しく、良い収穫でした。

木村すらいむ(@kimu3_slime)でした。ではでは。

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