どうも、木村(@kimu3_slime)です。
カール・グスタフ・ユング「分析心理学」を読みました。
僕がユングについて興味を持ったきっかけは、友人がユング「タイプ論」を薦めてくれたことだったと思います。
ユングのタイプ論をベースにした性格診断テストは面白いので、ぜひやってみてください。僕は仲介者(INFP-A)でした。
フロイト・ユング・アドラーという3人の著名な心理学者のことくらいは知っておきたいなと思い、ユングの本をまず手にしてみました。
「分析心理学」はユングの講演録で、参加者とのディスカッションも含まれていて読みやすく、初学者におすすめです。
今回は、読んでいて面白かった心理機能(思考・感情・感覚・直観)の話、普遍的無意識の話を軽く紹介します。
思考v.s.感情?
まず面白いなと思った主張が、「思考と感情は両立しないし、どちらが優れているというものではない」ということ。
その説明をする前に、ユングにとっての思考と感情の意味を確認しましょう。
思考(thinking)とは、ものごとが何であるかを教える機能です。
目の前の赤くて丸いものを見た時に、何かがあると目で感じるのが感覚で、それがリンゴであると判断するのが思考。
感情(feeling)は、これが面白い定義なのですが、あることがらがあなたにとってどんな価値(value)があるかを教える機能です。
「あいつは嫌な奴だ」という気持ちが湧くときは、その人が自分にとって害を及ぼす・役に立たないという価値判断をしているんですね。
理性的に合理的に考えた方が良いとされている現代人からすると、感情は非合理的なものとされがちですが、そんなことはない、と言ってくれてるのが安心感があります。
ユングは「価値を付与することは、重要な心理学的機能」と言っています。
真に理性的でありたいなら、感情を無視・軽視せず、コントロールすることが必要ということでしょう。
どんなに優れた人であっても、劣等機能は原始的
このような思考と感情の定義によると、思考と感情は両立させることができないです。
感情を持ちながら思考することはできないし、一方で感情を感じ取るには思考がジャマになります。
ユングは、人間には意志のエネルギーがあり、その量は一定で、感情・思考(と感覚・直観)のいずれかに向けずにはいられないと言っていますね。
感情にエネルギーを向けたら、思考のエネルギーは弱くなる。この状態を、感情が優越機能(superior function)となっていて、思考が劣等機能(inferior function)担っていると呼ぶわけです。
優越・劣等という言葉は、優れている・劣っているというイメージが出てくるので、優性・劣性機能と呼んだ方が良いかと思いました。
どちらかが機能として優れてはいますが、誰もが思考の方が感情より上位にあるというわけではないんですね。
何が優越機能で、何が劣等機能か、それは人によって違います。この優劣が、性格のタイプ(思考タイプ・感情タイプ)論の始まりと言えるでしょう。
思考タイプ・感情タイプといった分類は、優越機能・劣等機能といった心理機能の非両立から生まれるものであり、どちからというと思考、どちらかというと感情というようにグラデーションがあるものということも納得できます。
感情・思考が両立しないことを描く様子を引用しましょう。
感情タイプの人は、(中略)とても良い人ですが、風変わりな信念や考えを持っており、彼の思考は劣等な部類に属するのです。彼は論理性を欠くので、もつれを解くことができず、思考は動かしがたくなっています。
他方、知識人が感情にとらわれると、「そうとしか感じられない」といいます。そして、それに対しての批判がありません。情動的にいきり立っているときだけ、そこからもう一度抜け出すのです。彼は考えることによって自分の感情から抜け出せないのです。もし、それができるとしたら、彼はきわめて不完全な人間なのです。
引用:分析心理学 p.37
「感情タイプの人が論理のもつれを解けない」「思考タイプの人は思考によって自らの感情から抜け出せない」というのは納得のいく欠点です。
何かを真面目に議論している時に、自分が感情的になっているのって気づくのが難しいですよね。
劣等機能ではわれわれはすべて未開人です。分化した機能ではわれわれは文明化していて、自由意志を持っていることになっていますが、それが劣等機能となると、自由意志などというものは存在しなくなります。そこには開いた傷口があり、どんなものでも侵入が可能な自由に開閉できるドアが存在するのです。
引用:分析心理学 p.40
劣等機能は古代的(アルカイック)で、未発達である。
皮肉の効いたこの表現から感じられる、人間の弱さというものに、僕は恐ろしくなってしまいました。
意識は個人的なものだけではない
もう一つ面白かったのが、無意識の話です。
先ほど紹介した思考・感情・感覚・直感は外的機能と呼ばれ、人が意識しやすいものです。
その下側には、意識できない心の機能、すなわち、無意識があります。
フロイトは「無意識には個人的な欲望が隠されている」と捉えましたが、ユングはそれだけではないと考えます。
ここが面白い。無意識には、個人的無意識(personal unconsciousness)と、普遍的無意識(collective unconsciousness)があるというのです。普遍的無意識は、集合的無意識とも呼ばれますね。
人間の無意識は、その全てが個人によるものではない。人間という種に共通するものがあるはずだ。
ユングは、アメリカで純粋の黒人の夢を研究し、そのことに気づいたそうです。
夢には、英雄や竜などの神話的なモチーフ(原型)が、血統や種族や個人的な経験に関係なく登場する。
ここまでの話には納得しました。
ユングはさらに、ナチスドイツを例に、普遍的な無意識が人々に影響を及ぼすようになると、革命や戦争のような心理的な伝染が起こるという話を紹介します。
これは読んでいてやや疑問でした。
もちろん当時のドイツにいれば心理的な影響を受けるでしょうが、それが普遍的な無意識に訴えかけるものというのは言い過ぎだと思います。
民族の歴史や神話と言っても、それは全人類的なものではなく、ゲルマン民族のローカルのものではないかと思うんです。
純粋にゲルマン民族でなくても影響は受けると思いますが、少なくともドイツでの会話や言語がわからなければ影響は受けないのではないでしょうか。
当時のナチスは神話的なヴォータンのように、ゲルマン民族の神話と象徴に訴えかけて、民族的な情熱をかき立てていたのでした。ユングはフロイトの夢解釈と心理学では、こうした民族的な神話のもつ力に対処することができないと考えたのです。「純粋に個人主義的な心理学は、個人史的な原因に還元することによって、元型的モチーフの存在を否定するために全力を尽くし、また個人史と分析によってそのモチーフを破壊するように努めている」[4]のであり、それは危険な処置なのだと考えたのです。
引用:フロイト派の夢解釈とユング派の夢分析 – 日経ビジネスオンライン
ただし、「すべてを個人に還元する心理学」を否定するユングのスタイルには共感します。そういう意味で、普遍的無意識というのは面白い考え方だと思いました。
「分析心理学」を読んで、個人の内側にとどまらない心理の話がもっと知りたいなと思うようになりました。
ユングは本の中でル・ボン「群衆心理」を紹介していたので、次はそちらを読んでみます。
木村すらいむ(@kimu3_slime)でした。ではでは。
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